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ずいぶん久しぶりの更新。いろいろと報告すべきことがあるけど、それは置いておく。

1日から福島・いわき市に入っている。5日まで滞在予定。地元の新聞社の記者さんに同行しながら、取材とヒアリングを続けている。その中で、現地での中長期的な支援の在り方等を模索している。

昨日は、特に津波の被害が大きかった沿岸部、豊間地区・薄磯地区・久之浜地区、そして避難所二箇所をまわった。また、市役所にてヒアリングをした。今日は、時間が許す限り、避難所をまわり、被災者の皆さんの声を聴いてきた。

最初の写真は、いわき駅のペデストリアンデッキ。市街地。

見た目は平常時と変わらないが、ところどころに地震の爪痕が残る。一部の店舗で営業を再開している。品揃えは十分ではないが、地震の被害が少なかったコンビニは、朝から22時くらいまでは開いている。ライフラインが復旧しているところも多く、平常に近い生活に近づいている。

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久之浜地区。福島第一原発30km圏内の屋内退避エリアである。にも関わらず、作業にあたる住民の方たちが散見した。ここは、火事も発生していたようだ。こげた家屋が痛々しく、言葉も出なかった。

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薄磯地区。

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豊間地区。薄磯地区同様、津波の被害が大きかった地区。建物の基礎だけしか残らなかったところも少なくない。

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それぞれの住まいの外縁には、写真やアルバムがまとめられていた。救援活動の際に、外に取り出した方がいらっしゃるのだろう。福島市内では写真の復元作業に取り組む方達もいらっしゃると聞く。

いわき市の被害は多様である。

1966年に14市町村が合併して誕生した本市は、東北地方で3番目に広い面積を持つ。今回は、地震・津波・原発と災害も複合的であり、市域で一元的に被害を表現できない。

北東部は福島第一原発の30km圏内に入り、そこから東部にかけての海岸域での津波被害は甚大。一方、市街地では、スーパーや飲食店がぽつぽつと開き出し、地震からの復旧が進んでいる。

30km圏外であるにも関わらず、高い放射線濃度が明らかになった南西部の集落もある。放射線の拡がりが風の流れに準じている以上、地形に大きく影響するのは明らか。国の発表している同心円状での危険エリアの設定は、便宜的なものでしかない。

つまり、同じいわき市内でもそれぞれのエリアで「被害の内容」と「復旧度合い」が大きく異なる。この事実は、いわき市外の人たちに対して与える影響は大きい。被害に関係のないエリアに対して、風評被害が発生する可能性が高いのだ。

また同時にそれは、市民それぞれの「被害認識の違い」にも現れ、行政の施策にも影響が及んでいる。

例えば、いわき市の小中学校は、始業式・入学式が4/6に設定された。確かに被害が比較的少なかった広域のエリアを鑑みれば、あり得る選択なのかもしれない。しかし、甚大な被害を受け、避難している方々や避難所として施設を開放している小中学校にとっては、時期尚早と思える。

放射線の影響で市外に避難している住民もいる。その人たちは6日にあわせて、戻ってこなくてはいけない。津波や火災で家が消失し、通学に必要な備品が揃わない人も多い。また、離れた場所に通学せねばならない子どもたちも少なくないが、車が被害にあった家庭も多く、通学は困難だ。

被災者の皆さんは、通学先を選べる方もいるようだ。しかし、被災した家から引っ越した場合は、補償が発生しないというケースもある。そして何より、放射線に不安を感じる中で、授業が遂行できるのか…

この政治判断は、復興の早期実現と被害の少ない地区への風評被害を避けたいと強く願う、市と教育委員会のはやる気持ちの結果だと思う。しかし住民としては、納得が難しいのではなかろうか。「いわき市」というスケールで施策の足並みを揃えると、無理が生じると思う。

長期的なビジョンを要する復興と風評被害の払拭のためには、対外的な情報発信の際にも、エリアと津波・地震・原発のいずれの被害による情報かを明確にする必要があるのだろう。

そして、被害内容とエリアの特性に応じた、細やかな復興政策が要求されていると思う。 続く。