さすが年度末…という感じ。先週は東京行きに始まり、朝7時に家を出て帰り着く23時まで、学生がくれたチョコレートしか食えなかったこともあり。まぁでも至って健康。つぐみが発熱してしまい、それが心配…。

今日はお知らせのみ。

26日〜28日(今日まで!)に、konya galleryにて「轆轤(ろくろ)とノート展」が開催中。小石原を舞台に、同僚の池田さん城谷氏らが進めてきたプロジェクトの報告展。ぼくは、報告書を兼ねたブックレットのデザインをしています。ぜひぜひ。

北九州では、「北九州演劇フェスティバル2010 語る演劇」が3/1より開催。ぼくは、「よりみち企画」に出演。7日、creamにて。メインステージ?では、大人計画の松尾さん、平田オリザさん、飛ぶ劇の泊さんらが出演。申し込みは28日(今日まで!)必着ですよ。

(ふるさと)熊本のパレアホールにて、熊本と九州の経済をテーマにした展示が開催中(写真)。戦後から現在までの熊本経済の年表(57m…)、熊本の企業の紹介等がなされています。ぼくは空間デザインをお手伝い。こちらは3/1の20時まで。イチロー選手や原監督の全日本ユニフォームも展示されています。ユニフォームの刺繍をしている会社は、実は熊本にあるのです。展示にて、いろんな発見をしてもらえるとうれしい。

他にもありますが、それはまた…


先週末は熊本へ。仕事帰りに、久しぶりに橙書店&orangeに立ち寄る。ヒサコさんがやけにニコニコ。どうやらしろつめさんが展示準備に来ているらしい。しろつめさんとは不思議なくらいに偶然会う。挨拶に上がったら展示用の素敵なキャンドルをくださった。もらいにきたみたいで申し訳ない…(ありがとうございます)。チョコレイトな展示は2/14まで。みなさんぜひに。

その後、橙書店を物色。途中、ヒサコさんがニコニコしながら「とてもいいんですよー」と一冊の絵本を差し出してくれた。写真。アジサカさんが、とても大切な本だと教えてくれたそう。
これが… すごい。うれしくってどきどきした。表現という意味では、ぼくが今まで目にした絵本の中で1番だと思う。

テキストは全くない。異次元の世界はもちろん見たことはないけれど、見れたとするなら、きっとこんな感じだと思える。2次元の確かさ、つまりマテリアルとしての本を丁寧に活かしながら異次元へと誘う。というより、異次元を強調させているにも関わらず「本」であることを忘れさせない、という表現が正しいかもしれない。「時間」に対する挑戦が至るところに散りばめられている。緻密で優しげなタッチが恐ろしくも見える。

作家のShaun Tanは、オーストラリア人。残念ながら日本の出版社からは出ていない。見せてもらったのは仏の出版社のもの。アジサカさんは仏にいらっしゃったので、そこで手にしたのだろう。ということも想像されるだけに、殊に感慨深い。調べてみると米の出版社からは「The Arrival」というタイトルで出ている。内容の詳細は書かない。興味のある人はぜひ見てほしい。言わずもがな、ぼくは早速注文した。

この日は4冊購入。「日本のいきもの暦 / 日本生態系協会」「いずれは死ぬ身 / 柴田元幸 編訳」「須賀敦子を読む / 湯川豊」「吉本隆明歳時記 / 吉本隆明」。
橙書店を出る時はいつも、テンションが上がる。ヒサコさんがニコニコしながら薦めてくれる本は、確実にぼくの心を捕らえるし、探し当てた本をいつ読もうか想像するだけで、楽しい。

橙書店は今日で丸2年。 わざわざぼくが言うまでもないけど、取次を介さず、ここまでの本棚を見立て、継続させていくのは相当なことだ。まだ行ったことがない人はぜひ訪ねてほしい。どの本を選んでも、あたたかみがある。必ず生きる糧になるはずだ。

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土曜日は石川さんのとこで講演。 めぐみさん中川くんオカダン夫妻など、塾生以外の人たちもたくさん来てくれた。どうもありがとう。周到に(と言っておく)準備した資料を全て忘れるというヘマをしてしまったけど… keynoteだけで何とか乗り切った。

懇親会では、塾生の熱い想いをビシビシ感じた。あ、次の日まで持ち越した悩める学生の熱い想いも。
みなモチベーションが高いし、デザインに対して真摯に向き合っている。こういう人たちが気持ちよく仕事ができ、正当な評価を受けられる社会になってほしい。そしてそのためにぼくもまだまだがんばりたい(当たり前)。逆に元気をもらった充実した時間でした。


午前中、URCで九大箱崎研究会。福岡市や東区の方たちと箱崎キャンパスの跡地利用について検討する会議。九大からは、ぼくとキャンパス移転推進室のS先生が参加している。マル秘事項なのでここでは書けないけど、必要とされる空間機能について意見交換をした。エスキースをさらに進めて、今年度中にはざっくりとしたゾーニングが出てくるんじゃないだろうか。(たぶん)

午後は講義。地域文化デザイン論の最終日。前半は、NPOのファンドレイジング(資金調達)について。NPO特有の財源に応じた資金集めのコツ等。後半は、「こうのとりのゆりかご」とデザインとの関係について話をした。

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写真は風呂上がりのつぐみ。ちょうど1歳になった頃のもの。もちろんぼくの真似。
大好きな納豆を食べた手でディスプレイを触るので… 今は使っていないibookをつぐみに与えていた。

つぐみを観察していると、面白い。直感的な行動が楽しい。変な言い方だけど、デザインについて教えてくれることが多いのだ。

まず電源を入れると、ディスプレイを触り出す。映っている「絵(GUI)」を指で動かそうとする。
そしてキーボード。ぼくの真似をしてぽちぽちと「叩く」んだけど、意外だったのが「はがす」こと。キーボードを、ぱちぱちとはがしていく…。

やめさせる、というよりまず、感心してしまった。改めて見てみると、確かにはがしたくなるなぁと。少なくとも彼女にとっては、キーボードは文字を入力するデバイスではない。彼女にかかると、キーボードはぼろぼろになる。いろんな意味で… ぼくには決してできない。

最近は学習したのか、はがすことはなくなった。電源が入っていなかったら、電源ボタンを押そうとするし(ただしぼくの顔色をうかがいながら)、傍らに置かれたマウスが「絵(GUI)」を動かすデバイスであることにも、気付いたようだ。

iPadが発表される直前、AppleInsiderが面白い特集を組んだ。Appleの新製品発表に向けて、タブレットの歴史を振り返ったものだ。

興味深いのは最初の図の一番左。Alan Kayにより提示された “handheld computing” つまりラップトップの最も初期のコンセプト「Dynabook」は、タブレットだったということだ。“Kay's idea mingled with his interest in promoting computers as a tool in primary education, 〜” という点も興味深い。子どもたちのことを考えた結果、見出されたデザインだった。

マウスは、Douglas Carl Engelbartにより1963年に製品化される。なぜ、タブレットがマウスに置き換わったかは推測でしかないけれど… まずは技術的な制約があったのは確かだ。そして、当時テキスト入力に特化していたパソコンでは、タブレットよりもマウスというポインティングデバイスを使用した方が効率的だった、ということだろう。

パソコンの役目がテキスト入力だけではなくなり、技術的に十分進化した現代においては、わざわざ(ネズミという名の)マウスを使って、離れた位置にあるものを動かす必然はない。動かしたいものを直接触りながら操作するのが、人間として「普通」のことだから。

Appleのすごさは、その「普通」を徹底的に追究するだけでなく、また、それを裏付ける技術力だけでもなく、印象的な場と時間軸を設え、シンプルなハードデザインと共に世に放っているところだ。iPhoneとの繋がりを見立てた心地よいUIは大きなインパクトとなっている。後日、Microsoftから発売予定の「Courier」の方がよっぽど使い勝手はよさそうだけど、その魅力を寄せ付けない説得力がある。ブランド力、と言い換えてもいいだろう。

少し話はそれるけど、興味深いラップトップがある。これ。

“One Laptop per Child(子ども1人に、ラップトップ1台を)” を合い言葉?に、パソコンを持てない子どもたちに、安価にラップトップを提供している。昨年末に提示された新製品のモックアップがこれ。175ドルで提供されるタブレット式端末だ。

プロジェクト当初から興味深く追いかけているけど、最近は少々ビジネスライクになってきた気がしないでもない。当初100ドルの予定だった値段が上がった。当初最貧国の子どもたちしか対象にしないというポリシーが変わり、先進国のユーザーも巻き込みだした。さらに子ども達のためにwordのようなツールは必要ないと言いながら、いつの間にかwindowsとのデュアル・ブートに…。

一般的に、こういうビジネスを(個人的には好きな呼び方ではないけれど)「BOP(ベース・オブ・ピラミッド)ビジネス」という。ここを参考にしてほしい。いわば、今まで対象としてこなかった(主として)低所得者層に市場を見出す営みだ。

以前、ぼくの講義の中でも「最先端のデザイン」というテーマで、今まで先進国のデザイナーが考えてこなかったデザインの在り方として“Design For the Other 90%” で紹介された作品群、そして変えるべき世界の現状について話をした。市場として見立てるかどうかは抜きにして、「世界」を「日本」に置き換えても同様な視点が必要とされている。その中でこのラップトップについても紹介した。

“One Laptop per Child”の 活動としての評価は、しばらく経って見ないと何とも言えない。当初掲げていたコンセプトや道具としてのインターフェースが「普通」に改良されていっている点は、至極共感する。

例えば “One Apple per Child" なんてコピーが通用するような、そんなプロジェクトをぜひAppleにしてもらいたいなぁと思ったりもする。現地のNGOにリソースを提供しながら。電子書籍を心待ちにしている「出版社」は少なくても「子どもたち」は少なくない。ビジネスとして成立させることも、決して難しくはないだろう(同業者からの批判はあろうとも)。

インターフェースだけでなく、タブレットの持っていた根源的な信念に立ち戻ってくれたら… という身勝手な妄想がある。その時こそ、Appleのブランド力が世界を変えるだろう。参考までに。