trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

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久留米で打ち合わせ。伝統工芸品のお話。和紙、石燈籠、提灯、ろうそく、独楽…エトセトラ。それぞれの新たなマーケット開拓・商品開発を鑑みた時、いくつかの可能性が思い浮かぶ。だけど1つ特別難しいなぁと思えるものがある。それは、仏壇。

仏壇を制作する際に培われてきた技術は、継承できるものがある。ただし、その「文化」はどうだろう。例えばこれから30年後、日本人は仏壇とどう付き合っているだろうか。各家庭に仏壇はあるだろうか。あるとしたら、どういう仏壇であるべきだろうか。

帰り道、大手仏壇店で仏壇が「たたき売り」されていた。その100m程先の仏壇店は、閉店セール。生産規模が小さく、家内工業である伝統工芸品の仏壇が、(例えば)外材とスケールメリットを駆使する大手仏壇店の仏壇と、価格競争という土俵で戦えるわけはない。というか、そもそも仏壇の前提となっている「文化」は価格競争に、マーケットの拡大に、似つかわしいものだろうか。

そんなこと考えつつ杖立着。前町長と一杯。

前町長とはよく「文化度」の話をする。まちの文化度は、目にする情報量に影響するため、一般的には都市が文化度が高く、田舎になるほど文化度が低い。誤解がないように言っておくと、都市的生活が文化的に優れているというわけではない。「木を見て森を見ず」ではなく、「森を見る」機会に恵まれていることが、文化度が高い要因の1つということである。そこに優劣はない。

計画論的には、それぞれのまちの文化度を見極め、それに相応しい振る舞い(計画)をしないと、計画の実践が難しく、効果も薄いという話である。

例えば、どこかのコンサルタントや代理店に提案された計画が、現場で実践が難しいことがある。そもそも、フィールドワークが不足していたり、どこの地域でもあてはまるようなスキームに収束している場合も(大いに)あるが、提案側と受け入れ側の文化度の齟齬が原因の場合もよくある。(時に無責任な)志高いポリシーを持って提案された内容に、地域の基礎体力(=文化度)が追いついてないのだ。

提案側が文化度を見極めていない、文化度の違いを踏まえたコミュニケーションができていないという問題がほとんどだが、地域側も文化度を向上させていく努力をしていかなくてはならない。文化度は高いに越したことはない。時代を見極めた計画の実践およびその選択肢が増えるし、実現可能性も高くなる。

つまり、まちの文化度に応じた振る舞いで結果を出していく一方で、まちの文化度を上げていくこと。地域が主体で進めるまちづくりには、この2つの行為が必要不可欠であることに気づいていない人は、意外と多い。

前町長は、強いリーダーシップを持っていたとよく評されるが、それは文化度を底上げするための行為だった。木造の新構造への着目や都市的とも言えてしまう建築物のデザインは、そのメタファーで相違はないが、最も着目すべきは、強いリーダーシップが顕在化された事実と、それに対する地域のリアクションだと思う。

まちのために顕在化させるリーダーシップには、本人に大きな責任が派生する。町長を辞してさらに穏やかになった口調には、「文化度との格闘」から開放された安堵が垣間見えるのだ。

写真:窓辺に昨日からいるやつ。そろそろ名前でも付けてやろ… あ。

 

あ。