trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

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昨年から続いていた伊万里の仕事。先日、最終の6回目の委員会を終えました。いやぁ。。途中ずいぶん苦労したけれど、最終的には委員の先生方も納得してくださる方向性におさまりました。大変だったけど、一矢報いた感じです。まだ計画書にまとめる作業が残ってるんですけどね。ちょっと専門的な話になって申し訳ないけど、たまには…ということで今日はその辺について。

そもそもどういう仕事だったかというと、鍋島焼が焼かれていた窯跡(史跡 大川内鍋島窯跡。鍋島藩時代に将軍への献上品を焼いていた窯で、藩が管理していたことから現代の「民窯」と比して「藩窯(官窯)」と呼ばれる)の保存管理計画の策定です。平たく言うと、国の史跡に指定された藩窯跡を、今後どういう風に保存し、管理していくのか、その方針をつくる計画になります。

最終的に、史跡の現状を変更する際の基準(木を切っていいのかとか、建物を移築・改築・新築していいかとか…)、土地の公有化のための方針(整備効果が高いからここを優先的に公有化していきましょうとか…)、発掘調査等の指針(価値がはっきりしてないのでこの遺構は優先的に調査しましょうとか…)等を示さなければなりません。

今回苦労したのは、史跡地外の周辺環境の価値を、いかに計画に落とし込めるのかということ。文化財保護の観点から言うと、やはり史跡の価値は、史跡地内の窯跡等の「遺構」。もちろん(管轄である)文化庁や県もその趣旨から逸れることは望みません。その中で、遺構だけでなく、いかに周辺の要素(石碑や景観木、町並み等)を含めて一体的な価値とするのか、ということに注力しました。

なぜ周辺環境を含めなくてはいけないかというと、まず第1に、史跡のある大川内山地区は、周辺環境が風光明媚な雰囲気を醸し出しており、地区に高い付加価値を与えているからです。元々、有田にあった御道具山(藩窯)が大川内山に移転したのは、この風景を成立させている「地形」が大きな要因だったんですね。技術の漏洩を防ぐのに、好都合な地形を有していて、歴史的にみても価値ある風景なわけです。その風景は史跡地のみで成立しているわけではない。だから周辺環境も踏まえたいわけです。

そして第2に、史跡を適切に保存管理していくためには、廃藩置県後、民窯となった現代の大川内山とのつながりを示していかなくてはならないというスタンスからです。保存管理計画は、中枢となる「保存管理」の側面と、それを踏まえた「整備活用」、そしてそれを支える「運営体制整備」と大きく3部に分かれます。史跡を適切に保存し、それを現代の資産として活用し、現代に生きる人たちで運営していくためには、史跡が今のぼくらと関係のない「過去のもの」ではなく、現代とつながる資産であるという事実を、きちんと示していくことが必要だと。そういうスタンスからの問題意識です。

制度としての保存管理計画では、本質的な価値は窯跡等の「遺構」であるべき。しかし、地域性を踏まえた上でリアリティのある保存管理を実現していくためには、周辺環境も一体的に考えなくてはいけないんじゃないか。窯跡が機能的に現代も継続しているわけではないのでなおさら、そのせめぎ合い?をまとめあげる所作が望まれたのでした。

この観点は、一般論としての計画の問題意識としては共有されていて。ただ、それをどう束ね挙げるかというロジックが、確立されていないのです。ていうか、旧来のやり方でも計画として成立するんですけどね。でもそれだったら決して「地域にとって良い計画」とは言えない。というとこです。

そこでぼくらが使ったロジックというのは、まず、史跡の本質的価値が多様であると示すことからはじめました。本質的価値の根拠となる史跡の「指定理由」の文間をひもとき、鍋島焼の美術的価値、藩窯の制度としての価値、藩窯時代の暮らしの風景としての価値、明治以降の民窯としての価値…など、6つの価値にまとめました。

次にその6つの価値を構成する要素(遺構とか地形とかその他もろもろ)を列挙し、それらが本質的価値を構成しているとしました。その後、その構成要素を4種のエリアに括り、史跡地外のエリアを、史跡地内の価値と一緒に感じないようなエリア名を付与。そして史跡地内に存在する要素に対して規制を設け、史跡地外に位置するものは、整備活用の際に対象とする旨を示したのです。

つまり、史跡の本質的価値は多様な観点からなっており、その中で周辺環境の価値も含まれると言及。ただし規制に関わる要素は(もちろん)史跡地内に限る。だから、その史跡地外の要素はきちんと整備活用に踏まえましょう、というロジックです。周辺環境をきちんと本質的価値として位置づけつつ、保存管理計画の本質を踏まえた展開が、なんとか提案できたような感じです。

さて。今回の件に関わらず、最近仕事の中である共通した壁にぶつかります。それは「あれも大事」「これも大事」という多様な価値への「気づき」を前提としたものです。少々薄っぺらい言葉で申し訳ないですが、従来まで正解と思われていたことが、実は正解じゃないんじゃないかという迷いが生じるわけです。よく言えば、可能性がたくさん見えちゃうんですね。たくさんの可能性を感覚的に絞ることは容易ですが、論理的に絞り込むことに、体力が要求されます。

まぁそこに体力をかけることがプランニングではあるんですが、その壁が高くなってきてるというか、そんな気がするのです。んでこの壁ってぼくらの世代(以下)くらいに特に生じるものなんじゃないかなぁと感じているのです。それは仕事の姿勢(生き方)にも反映されてくるわけで。ちょっと上の世代からすると、1つの可能性に絞れよと、そう思えてしまうんですね。たぶんその方が生きていくには楽ちんだと思えますし、プロとしても生きやすい。

ただ、そこで安易に絞れない。失うものの大きさが見えてくる。その感覚が真なのか(それはつまりプロであると同時に一人の人間としてという意味で)、あるいはぼくがただ単に経験と知識が足りないからなのか、はたまたぼくの性格の問題なのか、というのは、あと10年くらい生きてみないと分かんない。なので、まだしばらくはただひたすら迷おうかなと、そう思ったりもするのです。