trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

ばーん

知人がin-betweenの記事を教えてくれた。ヒストリーつうのが新鮮。。(ドットエフとRE/MAPについてはこちらの本で紹介されてます。テトラについては、以前こちらで記事を書いたことがあります。参考までに)

昨日から遊びに来ているY.FとM。Mは絵を描いていて。最近モチベーションが上がらず手が進まないと。相談のため?来ラボ。
表現を受けとめる環境が見え始め、刺激が薄れていく。信頼していた美的対象が定義でき、興味が離れていく。意識の変化に戸惑いを感じる彼女を見ていると、当時の自分と重なった。前に進められればよいけれど。

夜は日田の観光戦略会議に出席。元某誌編集長S氏のプレゼン。この方がついてるなら百人力(死語?)ですね。あとはそれこそ組織マネジメント。会議のファシリテーション、実働組織の構築と役割の共有、が必要なのかなぁという気が。事業ドメインを設定する際には、個別町村(合併前)のブランド力を、いかに日田市として反映させるのか、という点も重要になってくるんでしょうね。

写真:射的の銃を構えるY.Fとカメラを構えるM。

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(Y.Fのブログを見て)追記:おみやげ、ともらったクッキー。手作り!? 気合い入れすぎやろ。。(ありがとう)

焼き菓子

Cielで撮影。焼き菓子アラカルト。

 

パティシエ

パティシエのりこ嬢。がんばりや。

大山の朝

今日は協会長との打ち合わせ。その後は日田の観光協会でKさんTさんGと打ち合わせ。日田は昨年、大山(写真)・上津江・天瀬など…が合併して、いろいろと(抽象的な物言いですいません)問題が出てきてるようですね。

ちなみに(熊本県阿蘇郡小国町下城)杖立は、文化圏は(熊本県)阿蘇というより(大分県)日田よりなんですね。杖立にあるホテル「ひぜんや」に日田市と小国町の行政界がありますんで、「小国町」だけで考えるには無理があることは自明でもあります。

で、計画論的に?定義するなら、杖立は、日田より=福岡より、なんです。

日田は筑後川流域にあり、歴史的に福岡の筑後地方、筑前地方と深いつながりがあります。そういうこともあり杖立は「福岡の奥座敷」とか「(北)九州の奥座敷」とか呼ばれてた時代があります。特に筑前地方の炭坑マンがよく遊びに来ていたので。もっと昔に遡っても、その根拠が垣間見えますがそれは省略。

杖立が、小国町・南小国町の合併を通り越して「阿蘇市」と呼ばれる時はそう遠くない気もします。そうなったとしても、日田方面との連携はきちんと考えていかなきゃいけないんですね。

なぜなら… と理由を1つだけ言うなら、行政区域を基本としたまちづくりは、ほうっておいても行政がするからです。だから行政区域を基本としない、まちづくりを意識的に考えていかなければならないのです。

これは実はまちづくりの中で最もプリミティブな問題です。例えば小国町で生活していると「自分が住んでるとこ=小国町」→「自分とこのまちづくり=小国町のまちづくり」と無意識に定義し、評価してしまうことが多分にあります。冷静に考えると、町のエリアだけじゃ定義できないことを、そう定義して、行動してしまうことがよくあるのです。行政マンでもないのに、自分のアイデンティティを行政区域に見出すことが、当たり前のように思われています。

他地域と連携して…と発想したとしても、プランナーが同じ(都道府)県内だけでエリアをまとめることも多分にあります。なぜなら、その方が(ある意味)楽ちんだからです。んで国の行政マンは、県境を越えてはみても、交通インフラもしくは一級河川等の地理的条件(地域の文化がこれに依拠するとこももちろんありますが)に依存します。

まちづくりの主体である地方の行政が、行政区域に縛られずに動けることって限られてます。んじゃぁ誰が動くんだ、と考えると、行政マンじゃない人たちです。

行政マンじゃない、まちづくりをやる人たちがそういう視点を持たなかったら、まちの動きは限りなく行政区域に収束します。合併盛んな現代においては、そして地方分権が進み、国から地方へ権力が移譲されていく現代においては特に、ますます重要となってくる視点と言えます。

例えば、ほうっておくとまちのエリアは(どこかの誰かが考えた)ターゲットマーケットのエリアだった、なんてことがあり得るかもしれません。それならまだしも、市立図書館の500m先に隣市の市立図書館ができた、なんてこともあり得ます。(逆にうれしい?)

ちょっと過去を想い出してみたり、ちょっと後ろを振り返ってみたり。そうしながら「文化の区域」を描いてみる。そうすることで新鮮な感触が、必ず訪れます。そして新しい動きを創ってみる。それが実は「新しく」なく、もっと昔に遡っていただけだと気づいたら、そこに安定した文化が、醸成し始めるのかもしれません。