trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

夕焼け雲
夕焼け雲

昨日の夕方の雲。なんだかかどきどきしました。この雲は何というのでしょう?>お天気おにいさん。

で、前回のつづき。(遅くなりましたし、長くなります)

えと医師不足の問題は特殊だと思われがちなのか、例えば研修医制度など、国や病院(=供給側)の制度上の問題として受け止められるきらいがあります。でも実際はその他の「地方の人材不足問題」とそう違いはありません。受け入れる側(=需要側・地方行政)の努力ももちろん必要なわけです。

つまり、例に挙げた「柏原病院の小児科を守る会(以下、守る会)」の活動は行政という枠に頼らない「需要側」の堅実な活動と言えます。加えてポジティブ・アプローチですね。抗議ではなく、感謝の気持ちを基礎に置く。

おそらく「守る会」の活動のキモは「ありがとうの気持ちを伝えましょう」と呼びかけているところです。制度云々ではなく、患者と医師、1人ひとりが誰でもできるコミュニケーションに活路を見出しています。そして、そしてその結果発生するコミュニケーションはもちろん、その「行動の表明」が、活動や医師、そしてその周囲の人たちに「希望」を与えるのです。

ちょっと脱線しますが、小学校の校訓として「ありがとうの気持ちを伝えましょう」と掲げるのとは質が違います。何が違うのでしょう。その違いもポイントです。

話を戻します。こういう書き方をすると何だかしっくりこないところもありますが(それが本質ですが)、複雑な政治性からなる制度の改変を待つより、あるいはそこに挑戦するより、現実的かつ効果的な手法と言えます。制度の改変と目指すべき結果(医師不足の解消)は同じ。
個人レベルでの活動って政策(制度)とは別モノとして評価されがちだけど、そうではなく。この場合はむしろ、制度改変よりも賢明な「方法論」です。特に医師には勤務医だけでなく開業医もいるわけですし。

ぼく自身も経験上感じるんですが、どこかの誰かに命令されるより、「あの人を助けたい」と感じたり、そこに住む人から直接「来てくれ」と言われた方がキモチが動きます。「いやぁ君のおかげで助かったよ」とか言われた日にゃあ収入云々ではなく、イバラの道を(血だらけになりながら)進んでもいいかなと思ったりもするわけです。誰かに命令されても血だらけにはなれません(何のこっちゃ)。んで、そんな暖かい人たちがたくさんいるまちがあったら住みたくもなりますよね。所詮人間。「そういうもんだ」ということを踏まえた上で、制度との関連を見出すのが、肝要なのです。

ある意味で当たり前のことを書いています。でもこの当たり前のことができないんですよねなかなか。この発想が「会社」では考えられても「まち」となった途端に飛んじゃうんです。

だから行政等は、この事実に意識的になることが求められます。地域社会の問題は個々人の内面の問題。そして個人でキモチを表明するには限度があり、またキモチ同士を繋げられないので制度があります。1人じゃできないことを実現可能にするのが制度のミッション。加えて、キモチだけではどうにもならないとこをフォローするために制度はあるのです。

そいで。「地方の人材不足の問題」を人のキモチを切り口に解決するには、大きく分けてふたつのアプローチがあります。

ひとつは地域外の人に「働きたい・住みたい」と思ってもらうこと。U・I・Jターンの誘致等がこれですね。外から魅力的に見えれば、「働きたい・住みたい」という人も増えます。企業誘致もこれにあたりますね。まぁ「住まざるを得ない」が近いけど。

んで大事なのはもうひとつの方。それは、地域内の人に「働き続けたい・住み続けたい」と思ってもらうことです。

「働きたい・住みたい」と思った人も「住まざるを得ない」と思った人も、「働き続けたい・住み続けたい」と思えなければ結局離れていきます。何より、住んでいて幸せを感じない。よくU・I・Jターン者の量でその地域の魅力が量られますが、そうではない。「働き続けたい・住み続けたい」と思える人が多いまちが本物です。

実はこのための施策ってほとんど見られないんですよ。なぜなら(検証も含めて)難しいからです。

「働きたい・住みたい」と思ってもらうためだったら、ちょちょいと?情報を集約して魅力的なまちに見せちゃえばいいんですが、実際住んでみると、様々な局面で現実が見えてきますからね。現実を、そして不特定多数のキモチをマネジメントしていかなくてはいけない(と思ってしまう)。特に田舎だと、人口が少ない中で濃密な人間関係が形成されていくし。

またまた脱線しますが… 「人口不足」問題とは違います。「人材不足」の話です。「人口不足」はやむを得ないところがあるし、地球規模で考えるとむしろ「自然」と言ってもいいと思っています。少子化対策云々って胸はって主張されても、ぼくはしっくりこないんですよね。何故少子化じゃいけないかってのは、年金を払う人の数が減るからなんです。そして将来の税収が減るからなんです。何だかおかしいと思いませんか?「運動会が盛り上がらないから」という方がまだ健全。(言い過ぎ)

話を戻します。特に田舎においては、組織ではなく個々人の能力がまちの幸福度を左右します。人材ってとても大事なんです。結局、人です。だから、「働き続けたい・住み続けたい」と思ってもらうためにどうするかを考えていかなくてはなりません。

ぼくが仕事で関わっている町や村でもこの手の問題をよく目にします。ぼくが言うとさざ波が立っちゃうんで(さざ波かよ)、具体的な地域名は書きませんが… 例えば役場の人事とか。その人の資質やがんばりに配慮しない人事がよくあります。今までどんなにがんばってきたか、どんなにまちのことを思ってきたことか…。そのキモチを台無しにするようなことは、絶対あってはならない。個々人の資質を見抜いて、やる気を持ってもらい、適所に配置した方がまちや村のためにもなります。なのに、です。今までのがんばりに対しての、感謝のキモチさえ感じられない。

そんなことだと、優秀な人材はどんどん流出していきます。あまりにも悲しい。ある地域では、時に担当者の個人的な理由で人事がなされたりします。あきれて声も出ない。何よりも本人たちは、やり場のないつらさでしょう。ほんとに。

「働き続けたい・住み続けたい」と思ってもらうことは難しいけど、そのヒントになる事柄はあります。
そういう気持ちは『個々人の主体性』そして『人と人との相互関係』の工夫で醸成されるのです。これは小さい組織(チーム)でも同じこと。

前者だと、その人がやりたいことがやれる状況を創る、能力が発揮できる場を提供する、存在を認めてあげる、信頼して放っておく…など。「守る会」の「ありがとう」の実践もこれに当てはまります。「ありがとう」と言われることで、辛いことがあっても、またがんばろうという主体性が芽生えるのです。

後者は、人と人との繋がりで個人の孤独感を取り除く、組織として方向性を共有する、新しい刺激を与えてあげる…などが考えられます。少なくとも、まちや村のリーダーが、この2つの面にしっかり意識的になることで、人材不足の問題はずいぶん解消されるはずです。何よりも、幸せに生きられる人たちが増えます。時に制度を乗り越える程の気概がほしい。

といっても、そんなにたくさんの人を思いやるなんて無理やろ、という人もいるかもしれません。ということで、もうひとつヒントを。

この記事を見てみてください:ソーシャルネットワークをめぐる10の理論 – 橋本大也氏
ここに挙げられている10の項目はいずれも参考になりますが、中でも「適正規模150人説」というのに注目してください。サル学者ってのがひっかかりますが… ぼくの経験上あながち間違った基準ではないように思えます。

興味がある人はこの数値をさらに検証して頂くとして… 例えばですよ、例えば、人口1万人の田舎で、役場や病院、福祉施設、そして個人でまちを盛り上げようと頑張っている人等、「公益性」を考えて働いている人がどれくらいいるかというと、だいたい100人から200人だと思うんですね。これぐらい、いけるんじゃないでしょうか。何がいけるかというと、(例えば)リーダーがキモチを受け止めてあげる人数です。

引き合いに出したデータの信憑性は置いといて?、大事なのは、全ての人は無理でも「公益性」に関わる人たちを見極め、直接キモチで対峙することだと思うのです。

例えば役場だったら職員全員と面接して要望を聞いてもいいでしょう。要望の達成が無理な場合は、その旨きちんと説明する。そして組織としての方向性を見出し、皆と共有する。こういうのは田舎だからこそ可能だと思うんですけどね。政策のスキルよりもリーダーに必要な資質です。政策はアウトソーシングできても、キモチはアウトソーシングできないのです。

政策実現に独り相撲で四苦八苦するより、個々人のキモチを汲み入れることで、個々の主体性が活かされた、自立分散型のチーム・ビルディングがなされます。その自立された個々が、さらに周囲の人たちを巻き込むのです。無理でもいい。自分の体裁なんて、ほんとどうでもいい。その姿勢自体が人を動かすのです。

人材が少ないからこそ、そして人材の影響が大きい田舎だからこそ、しっかり『個人のキモチ』を大事にしてほしいのです。個人のキモチが活き活きと染み出すのが田舎の素敵なとこなんだから。それが田舎の強みなんだから。誠実にがんばってきた人が報われないまちは、何かが必ず間違っています。

 

モヒカン?

何だかメッセージが伝わり過ぎる気もするので、おとぼけヌードで中和しときます。10ヶ月になりました。

雲海

もくもくもく。一昨日だったかな。えほんのくにへの道すがらの風景。雲海。向こうにうっすら見えるのが根子岳。えほんのくには、あの裏っかわ。北阿蘇から南阿蘇へ。その中途には壮大な風景が根をおろす。

もう一枚。

 

おちば

ざくざくざく。こっちの秋はほとんどありません。葉っぱが落ち始めると冬支度。最初の頃は「さてさて秋服…」と思ったらすぐに雪が降ったのでびっくりした(と同時に悲しかった)ものです。秋が一番スキなのに。

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先日話題に上がったのでピックアップ。

千葉・銚子市立病院が休止、事実上閉鎖 医師不足深刻化(asahi.com)

2ヶ月前くらいのこのニュース。マスコミの扱いが小さかったので気になっていました。これって、どこの自治体にもあり得る事例。他人事じゃないです。特に、今の時点で民営化(公設民営も含む)の検討すらしてない自治体は非常に危険。

ぼくは、公立病院の民営化を手放しで賛成するわけではありません。全国の7割は赤字経営という実際には、各自治体それぞれで固有の理由があり「民営化すりゃ解決する」程度の問題でもありません。公立病院は、民間では採算が難しい医療を担う使命もありますから「民営化しても無理」というとこさえあるでしょう。

しかし、市民の主体的な活動が見られない地域で、民営化のフィジビリティ・スタディさえしていない場合、非常にまずいかと。いまさら検討しても、市民の意向を尊重しながら受け止めてくれる法人はそうないでしょう。また、民営化のスタディは、一方で地域医療を再考するための起爆剤にもなります。地域医療問題の一部を顕在化できるのはもちろんですが、何よりもまち側(市民)の意識(協力)を醸成するきっかけとなります。

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…と、ここまで書いた時に大変なニュースが飛び込んできました。

武雄市長 辞職の意向 市民病院民営化 リコール運動開始なら(西日本新聞)

市長の樋渡さんは、市民病院の民営化を推進・実践してきました。その中で、民営化の反対派がリコール手続きを開始しようとした矢先の今日のニュース。樋渡さん、相変わらず対応が早いですね。(杖立は、樋渡さん率いる武雄市、そして由布院と取り組む「九州三湯物語」というプロジェクトがこれから本格化していくわけですが、その今後の影響についてはここでは触れません)

武雄市の場合は、民営化云々というより、それを実現させるプロセスに不備があった(プラス政治的な理由)ということでしょうか。すぐにでも結論を出さなくちゃいけない状況だったことを踏まえると、妥当なことをやってらっしゃった気はするんですけどね。門外漢が知らないこともあると思うので、何とも言えませんが。でも早いタイミングで辞意を表明されたことが、次期市長選の争点を民営化の是非に収束させる後押しになったのでは。選挙で(ある程度の)決着がつくのでしょう。

さて、武雄市の病院が民営化を検討し始めた理由、そして上記の銚子市の病院が閉鎖した理由の1つに「医師不足」があります。それに拍車をかけたのが、研修医制度(新医師臨床研修制度)の改正と言われています。本制度の改正が地方の公立病院運営にどう影響したかというと…

制度の改正で、研修医が自由に研修先を選べるようになった → 経験が積める、また将来のことを考え都市部を選択する研修医が増えた → 地方(へき地)の公立病院を選ぶ研修医が少なくなった → 同時に、従来までは(主に)医局の権限で引き留められていた研修医が大学病院に少なくなった → 大学病院の(若手の)医師不足、および安い給与の研修医が減ったため経営にしわ寄せが生じた(実はここを予想してなかった自治体が多かった)→ 大学病院は、今まで公立病院に派遣していた医師を引き上げさせた → 公立病院がさらなる医師不足に!

という構図です。この構図を見ただけでも「医師不足」に複雑な要因が絡んでいることが分かるかと思います。国と医局側の制度の問題、そして大学病院の経営上の問題、公立病院の研修医受け入れ先のスケールの問題…エトセトラ。そしてもちろんこれだけではありません。一般的に知られている医師自身の過酷な勤務条件をはじめとして、他にも多様な要因があります。

で、本題はここから。

ここ:「柏原病院の小児科を守る会」の方たちの活動を見てみてください。
市民自らが立ち上がり、地元公立病院の小児科存続のための運動をしてこられました。公立病院の財政圧迫、そして医師不足の原因は、何も病院側や国・自治体の制度だけに属するものではありません。こちらの「3つのスローガン」に分かりやすく示されているように、医師の置かれている状況を思いやりながら、自分たち患者の振るまいを見直そうと活動されているのです。

そして特筆すべきは、この活動の結果、柏原病院の小児科の存続が決まり、さらに医師が増えたということです。

大学病院や国、そして自治体の制度を変えようという「壮大な構想」ではなく、また対自治体の抗議行動でもなく、1人の女性ができることに取り組み、医師に感謝の気持ちを伝えるという「誰でも取り組める具体的な行動」を起こした結果、医師不足が解消され、地域医療再生への力強い礎になっています。「この病院で働きたい」「このまちに住みたい」という医師(市民)が現れ、患者(市民)と一緒に、まちで気持ちよく生活しているということです。

さて。
とは言わないけど、ぼくの携帯の充電が切れるまで熱い電話をしてきた輩へのメッセージ込みで書いたので冗長になりました。続きは次回の日記で。