久しぶりに杖立へ。車を降りると「タイムスリップしたみたい」とアタモ。まさにそう。杖立に居た時から感じていた、空間がもたらす支配的な、でも心地よく、誠実な、人間らしい時間感覚。ぼくが好きな空間は、「自分の知識が届かない」時間が感じられる空間。どんなにオシャレでかわいく見えても、作り手に「自分の知識が届かない」時間への配慮がなければ、興味は薄れる。歴史的、または伝統的だと明示される必要は全くなく。専門家から美しいと評されるかどうかも問題ではない。
個人的であったとしても、作り手が先人に対する敬意を踏まえていること。そして作り手が意識的であったかどうかに関わらず、空間から人間の自然性(限界)が感じられ、かつそれが違和感なく風景の一部となっているかどうかの問題なのだ。
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今年も杖立は明後日朝顔プロジェクトに参加している。当初は、どうしようかな…と悩んでいた。福岡から杖立の朝顔の様子をうかがうのは難しい(何せ朝…)。そんな中、杖立の朝顔リーダー・男前Nさんが、今年も参加したいと言ってくださった。うれしかった。ということで、少し出遅れたけど、今年も参加することにした。このロゴで杖立が一番下にあるのは、そういう理由から。悩んだ分、いい感じに下からぐっと支えている。
明後日朝顔に参加すると、ブログにて現状を報告しなくてはいけない。でもリーダーはインターネットに慣れていない。無理もない。杖立がブロードバンド化されたのはつい最近のこと。だからといって、誠実な時間感覚を備えている方たちに、ブログだのtwitterだの勧めたくはない。こういうのは、必要な人とそうじゃない人が確実にいて。安易に勧めるのはとても抵抗がある。そこで、とりあえず九工大の学生の中から朝顔担当を決めてもらい、取材をしてもらうことにした。早速アップしてくれているようで。その調子で!
朝顔を眺めた後、「第1回 まちづくり会議(仮)」。今年度から新しい動きが始まる。その詳細はまちづくりの軌跡で学生が報告してくれている。何だかいつになく愛ある文章。笑 その調子で!
前日に、とある方から相談があると電話があった。なので会議後、Pホールにて打ち合わせ。
今後杖立にて進められるのは大きく2つ。軌跡に書かれているように「防災道路事業」と「背戸屋みちづくり事業」。国や町と連携しながら進められていくハード事業。その個別事業とは別に「杖立全体のまちづくりの方向性を掴みたい」。ざっくり言うと、そんな相談だった。
基本計画策定から6年が過ぎ、杖立の置かれた状況もずいぶん変わってきた。実働体制が大きく良い方向に変わってきている。「みちくさ案内」や「杖立プリン」等が定着する一方で、取り組める、そして、今こそ取り組むべきアクションも顕在化してきた。それらが混在している状況を、長期的視点や相互関係を踏まえて「見える化」したい、そういう要望のように思えた。
以前から、まちづくりの「総合計画」のようなものが欲しいとは言われていた。でも、今日話を聞いた限り、それは「総合計画」とか新たな「基本計画」とか、そういう類のものではなさそうだ。必要なのは、(流行りな感じで)一言で言うなら「思考を支えるフレームワーク」のようなものだろう。参考1。参考2。
計画条件やその必然性がボリュームを割く「計画」は、まちづくりを主体的に思考する当事者(住民)の感覚とはどうしても距離ができてしまう。「今私たちがやりたいと思っていること」の共時態と、そこから成果に至る通時態(参考)からなるフレームワーク、つまり、物事が進められていく際の「感性」に忠実でありながら、よりベターな事業成果をもたらすための支援ツールが必要に思った。
そしておそらくそれらの全体像は、限られたメンバで共有しながら、アクションに応じて部分的に広く知らしめていくものであるのだろう。最初から広く・みんなが、となってしまうと「やりたいこと」から遠のき、幾つものフレームワークが必要になってくる。つまり、こういうものは、どのような規模で形作るかが、肝であるように思う。
行政と協働で個別のハード事業を進めながら、次なるアクションを方向付ける包括的なフレームワークを構築する。この2つの柱を九工大と役割を決めながら進めていきたいと思う。九大としての関わりも見出していけたら、いい。
打ち合わせ後は、2軒の旅館さんからいろいろ相談を受ける。そしてラボの引っ越し作業。総勢7、8名の学生たちが手伝ってくれた。やはり君たちがいるから、まちづくりが進むのだと思う。さすが。えらい。かっこいい。
ということで、次回もよろしく…