昼間はぽかぽかしてるけど夜はあいかわらずひんやり。まだまだジャケットが手放せず。
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「こうのとりのゆりかご」の運用が始まったそう。なので今日はそのことについて少々。
熊本日日新聞(県内で最大のシェアを誇る新聞。以下熊日)は、地元ということもあり、この問題を深く掘り下げ、特集も組まれてきた。しかしその他の新聞は表面をさらっとなぞっただけものが散見して、なんだか煮え切らない。
まず名称。ネット上でもずいぶん議論されていることだけど。
「赤ちゃんポスト」という名称は、他国の事例が日本に紹介された際に使われた名称であり、熊本の慈恵病院は最初から「赤ちゃんポスト」と呼んでいない。「こうのとりのゆりかご」と名付けている。
たしか3月くらいだったと思う。熊日は、「赤ちゃんポスト」という名称が与える印象を危惧し、紙面にて「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」と表記するようになった。徐々にこの()かっこは取られていくと思われる。
一方、その他の新聞のほとんどは未だに「赤ちゃんポスト」か「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」と表記するにとどまっている。「一般的に浸透しているから」「分かりやすいから」という理由らしいが、それ以前に言葉が与える印象で議論が収束してしまっている現状をしっかり見据えて欲しい。
「赤ちゃんポスト」の何が分かりやすいのか自問したらいいのに。実際は、分かりやすいわけではなく、この問題において分かりやすく伝えるべき情報が、正確に伝わらない状況になっている。まだ「赤ちゃんシェルター」の方が、分かりやすい。
先日、某新聞の社説に「ゆりかご」が取り上げられていた。使われない世の中にしなきゃいけないとか、「育児放棄の助長」を危惧するとか、里親制度を普及する努力をしなくちゃいけないとか…。この問題の周囲でがんばっている人たちを知っているだけに、そんなん社説で書かんでええやん、と思ってしまった。
まず「育児放棄の助長につながる。だからダメ」という根拠がよく分からない。「『ゆりかご』があるから放棄できるや」と思う大人を諭すことと、大人の都合で不幸な人生を送る子供たちを見逃すことは、天秤にかけられんだろうに。
百歩譲って「助長につながる」としても、子供たちにとっては、その助長されてしまった大人に育てられるより、自分達のことを親身に考えてくれる環境で育てられた方がハッピーじゃなかろうか。一方、どんないい加減な親でも子供達にとっては大切な存在。つまりは、その子供のキモチをフォローした体制・制度こそが望まれているんだと思う。
んで、里親制度。厚労省が法に準じて里親制度の浸透を図っていることもあり、「ゆりかご」に預けられた子供たちが里親の下で暮らすことも少なくないはずだ。
しかし、例えば養育里親の下で育てられるのは原則的に18歳まで(20歳まで延長も可能)。その後子供たちは20万程度のお金が支給されるのみで、法的保護から離れることになる。つまりたった20万程度を渡されて、自立しなくちゃいけないわけだ。(この点記憶が曖昧。間違っていたらご指摘おねがいします)
結局、里親がその後も面倒をみるケースが多いわけだが、養育期以降の人生のフォローがもの足りない。他にも問題点は散見し、国が施設による養育から里親へと推進している割には、制度自体が心許ない。普及はもちろん必要。でも、養子縁組との関係も含めた制度の見直しが先だろう。
先日、熊本市は妊娠に関する24時間体制の相談窓口を設置した。今までNPO等、ボランティアベースで取り組まれていたことに自治体が介入したことはすばらしいと思う。しかし、これはあくまで「ゆりかご」に預けられる前段階の体制作りである。「ゆりかご」が作られた以上、今後は預けられた後のことを緻密に煮詰めていかなくてはならないと思う。
例えば、障がい児が預けられたらどうなるのだろうか。病院は、乳児院は、児童養護施設は、里親制度は… その対応が十分にできるほど施設環境・経済基盤・制度等が充実しているだろうか。預けられた子供の立場を思いやり、行く末を判断するための、自治体・各機関との連携はとれるのだろうか。
「ゆりかご」の問題は、預けられた後の子供の行く末を、より具体的に想定し、(少なくとも)市域をあげて考えていかなくてはならない時期にきていると思う。
子供とは、生まれて間もない一瞬のイメージではない。ゆくゆくは大人として、一生を生き抜くための始まりなのだ。熊本市は、慈恵病院が作ってくれた契機を活かしてほしい。他自治体に先駆けて、子供とその一生を思いやる体制づくりに取り組んで欲しいと、切に願う。