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先週の木曜日、母親から電話。祖母がぼくの名前を呼んでいるとのこと。
祖母は92歳。骨折を機に身体が弱り、さらに心臓を患い寝たきりが続いていた。何を語ったからは分からないが、ぼくの名前だけが聞こえたと。週末の所要をキャンセルし、実家に帰ることに決めた。

次の日の早朝、母親から複数の着信。いやな予感に遮られながら留守電を確認、祖母が亡くなったとの報告だった。
昨晩、「ばあちゃんに会いにいく」とスケジュール帳に記したことが頭から離れない。こみあげてくるものを飲み込もうと何度も煙草を吸った。居心地がつかめない。いつものように傍らで寝ているアタモとつぐみをなかなか起こせなかった。

通夜と葬式は滞りなく終わった。大往生だった。おそらく誰もが生前のばあちゃんを見て、その頑張りをくみ取っていた。棺の中の安寧な表情に皆、腑に落ちたのだと思う。ばあちゃんの子ども、孫、ひ孫が久しぶりに集まった。この懐かしさに寄り添う感情が、供養の形式のように思えた。

一週間経ち、幾分か気持ちの整理ができたように思う。ぼくの名前を呼んだ理由は分からないが、おそらくいつものように、少し前のぼくに、少しの言葉で、思いやったに違いない。やせたごたるねとか、ご飯は食べよるねとか。あっちの天気はどうねとか。

ばあちゃんがいたからこそ、こうしてぼくは言葉を綴ることができる。感謝し尽くせない気持ちを、そのまま留めておきたいと思う。