先週末、熊本へ。こうのとりのゆりかごについて、関係者の話を聞いてきた。その数日前は、同和地区で暮らす人たちや、虐待に係る福祉事業に取り組む人たちから、まちづくりの相談を受けた
様々な立場の人たちと接していると、世の中は曖昧な要素があるからこそ成立しているんだなと、諒解できる。曖昧だからこそ、安寧に暮らせる人たちがいる。そして誰かを誠実に思いやり、曖昧さの中の矛盾を認め、寡黙に生きている人たちがいる。その曖昧さを、偏見と自己顕示欲で突き崩すことはもちろん、安易な正義感で真実を見極めようとする行為が、とても危ういことに、気付く。
ぼくらは、知識を強く欲してしまう時代に生きている。何が真実なのか、非常に判りにくい時代だからだ。
知識をもって市井の真実を見極めようとする性、つまり「知性」とは、ヒトの普遍的な欲求と結びつく。ぼくらは、膨大な情報の波に埋もれながら、情報を疑い、知識を求め、その先の真実をつかみ取りたいと願う。そしてその正義を主張することにこそ「自分」があると信じるのだ。
真実を見極めようとする姿勢は否定できない。しかし真実は、特定の文化から眺めたある一面の「見方」に過ぎない事実を忘れてはいけない。そして、知識を得れば得る程、その先に立ちはだかる見えない壁は巨大になっていく。覚悟なく壁に対峙した時、抱えきれない程の挫折感に覆い尽くされる。その先の、終わりが見えないのだ。
「知性」の限界に気付いたぼくらがとる行動は2通りある。それは、新たな「知性」の地平を求めるか、あるいは「知性」を放棄するか。
正確には、この選択双方に今の「知性」が伴う。その矛盾を抱え込みながら挑戦していくことになる。そして、徹底的な「知性」の放棄がもたらすものは死、である。だからこそ、伝統的な日本の精神において、死は特別な意味を持っていた。限りなく死に近づくことで「自然(ジネン)」と一体化する営みこそが「修行」だった。
つまり「知性」に対する挑戦は、人間と自然との関係にこそある。先日お会いした森田真生さん、左京泰明さん、内山節さんは、いずれもこのテーマに果敢に挑んでいると言っていい。3人に共通していることは「人間は自然である」と諒解していることだ。
正確には、森田さんは新たな「知性」を求め、左京さんは新たな「知性」を支える基盤を作る。そして内山さんは、今の「知性」を放棄する哲学を、これからの暮らしに定着させようと模索する。
そして、まちづくりに携わるぼくらも同じく、この事実を諒解し、挑戦しなければならない。その時に気をつけること。そのひとつは、「知性」で戦い傷つく人たちの存在を、思いやるということだ。
残念ながら、立ちはだかった壁を突き崩すことができる強い人たちはごく僅かである。多くの人たちは、壁の前で立ち尽くすか、あるいは、その挑戦すらせずに(あるいは、できずに)、社会の中へと埋もれてしまう。
現代の格差社会とは、「自分」が「知性」により規定されているからこそ生まれている。特に、「知性」が経済と強く連関する都市部においてそれは顕著となる。その中でぼくらがとるべき態度は、「社会福祉」とのつながりを担保したイエを、コミュニティを、まちを、デザインしていくことである。ぼくらは常に「社会福祉」を携えるべき時代を生きていく。
「知性」との戦いの中で、これから一層、自分自身の「弱さ」に気付くことがあるだろう。その時は、相手の手を柔らかく握り返してやればいい。その感触で、終わりのない戦いに終止符を打ち、次なる一歩を踏み出すのだ。ぼくらはその勇気を、手にしなくてはいけない。
もう一度引用しよう。人生とは、何か計画している時起きてしまう別の出来事の事である。