trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

葉祥明阿蘇高原絵本美術館

寝ているのか寝ていないのか分からない日々が続いている。机上の浅い眠りの中で見る夢には、決まってつぐみが出てきて。
7歳くらいの言葉を紡ぐ夢の中の彼女が、頭頂骨あたりをふわふわと旋回している。

今日は朝から南阿蘇へ。東京からアーティスト:小粥さんがいらっしゃったので、阿蘇を案内する。
小粥さんは、約3年前の銀座エルメスでの個展を機に制作した「泉」を携え、旅を続ける。それは「泉守り(いずみもり)の旅」。次の旅先に阿蘇を選んだという。

泉は幅80cm程の白磁器で形作られ、参加者がくるくるとハンドルを回すと泉が回転し、水が湧き出る。そして泉を支える土台のオルゴールが柔らかい曲を奏でる。作曲は坂本龍一さん。高さ170cm程度。その場で生じるアクティビティ、およびその泉を見守り維持していく人たちも含めて「泉守り」と呼んでいる。

事前にドローイングと詩、そして写真を拝見していたぼくは、泉というアウトプットに至った小粥さんの静かな信念に頷いたわけだけど、その泉とともに「旅」をする理由の中には、既存のアートサーキットに疑問を呈するもうひとつの信念があった。

その信念を携えていたのは、小粥さんと一緒にいらっしゃったSさん。「泉守り」のひとり。であると同時にエルメスでの個展をキュレーションされていた方。

ぼくは先日、東京を訪れた時にある種の違和感を感じていた。遠巻きに察知はしていたのだけど、駅の大判ポスターや電車の宙づり「広告」の中に「アート」という言葉が氾濫している事実を目の当たりにして確信した。地方に未だにはびこる古典的なアートサーキットとは異なる、新たなサーキットが東京を浸食しているように感じたのだ。

アートがマーケットとの接点を見出すことは大いに結構。だけどマーケットを理由にその魂が失われるのはどうだろう。マーケットとの接点を見出すということは、そういった「サーキット=社会の仕組み」の中で作品が走り続けなくてはならない使命を帯びるということだ。

その仕組みに介入させるのは、ほとんどにおいてアーティストではない。キュレーターであり、学芸員であり、ギャラリストだ(最近は編集者も多い)。その類の専門性は、アートを確かな方向に導く、つまり作品の真意を世に呈することに他ならない。

マーケットで得られる対価は、1つの手段であり目的ではない。それだけではない。マーケットと対峙するキュレーターは、その社会的役割に束縛され、時に作品の可能性を留めてしまう。側面的に作品を意味づけするメディアは、アートに暴力的なファッションを見立て、消費者はそのウソを作品の真意あるいは付加価値として追い求める。結果、作品は消費される。
アートとマーケットとの親和性は、常に作品たる所以を問い続けながら、そういった幾つものリスクに意識的になることが前提なのだ。

Sさんは個展の後、そこで「泉」の流れが止まることにキュレーターとして疑問を感じた。泉はわき続けてこそ泉。
そして通り慣れたサーキットを横目に、しっかりした足取りで泉とともに旅することに決めたのだ。

最後におふたりから頂いた磁器製の「泉守りの種」は有機的な曲線を描いていた。白い冷たい感触は握りしめた手のひらの中で体温と同調し、やがてきめ細やかなテクスチャーが指の記憶となる。ひさしぶりにもらったラブレターのような感触だった。

泉の参考情報:http://www.taronasugallery.com/exh/042.html

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3月20日から4月6日、南阿蘇で「子ども」と「デザイン」をテーマにした企画展を開催します。詳細はおいおいお知らせします。その中で、小粥さんの「泉」も体験できます。ぜひぜひみなさん来てください。そして「泉守り」になりましょう。子どもたちの未来を想いながら。

写真は、葉祥明阿蘇高原絵本美術館。館長の祥鼎さんを紹介する。ベンチに座るのは(方向感覚抜群の)Tちゃん。まだ慣れない南阿蘇をひとりで案内するには心許なかったので、同行してもらう。彼女もまた「泉守りの種」を手にすることに。