trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

雲海

もくもくもく。一昨日だったかな。えほんのくにへの道すがらの風景。雲海。向こうにうっすら見えるのが根子岳。えほんのくには、あの裏っかわ。北阿蘇から南阿蘇へ。その中途には壮大な風景が根をおろす。

もう一枚。

 

おちば

ざくざくざく。こっちの秋はほとんどありません。葉っぱが落ち始めると冬支度。最初の頃は「さてさて秋服…」と思ったらすぐに雪が降ったのでびっくりした(と同時に悲しかった)ものです。秋が一番スキなのに。

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先日話題に上がったのでピックアップ。

千葉・銚子市立病院が休止、事実上閉鎖 医師不足深刻化(asahi.com)

2ヶ月前くらいのこのニュース。マスコミの扱いが小さかったので気になっていました。これって、どこの自治体にもあり得る事例。他人事じゃないです。特に、今の時点で民営化(公設民営も含む)の検討すらしてない自治体は非常に危険。

ぼくは、公立病院の民営化を手放しで賛成するわけではありません。全国の7割は赤字経営という実際には、各自治体それぞれで固有の理由があり「民営化すりゃ解決する」程度の問題でもありません。公立病院は、民間では採算が難しい医療を担う使命もありますから「民営化しても無理」というとこさえあるでしょう。

しかし、市民の主体的な活動が見られない地域で、民営化のフィジビリティ・スタディさえしていない場合、非常にまずいかと。いまさら検討しても、市民の意向を尊重しながら受け止めてくれる法人はそうないでしょう。また、民営化のスタディは、一方で地域医療を再考するための起爆剤にもなります。地域医療問題の一部を顕在化できるのはもちろんですが、何よりもまち側(市民)の意識(協力)を醸成するきっかけとなります。

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…と、ここまで書いた時に大変なニュースが飛び込んできました。

武雄市長 辞職の意向 市民病院民営化 リコール運動開始なら(西日本新聞)

市長の樋渡さんは、市民病院の民営化を推進・実践してきました。その中で、民営化の反対派がリコール手続きを開始しようとした矢先の今日のニュース。樋渡さん、相変わらず対応が早いですね。(杖立は、樋渡さん率いる武雄市、そして由布院と取り組む「九州三湯物語」というプロジェクトがこれから本格化していくわけですが、その今後の影響についてはここでは触れません)

武雄市の場合は、民営化云々というより、それを実現させるプロセスに不備があった(プラス政治的な理由)ということでしょうか。すぐにでも結論を出さなくちゃいけない状況だったことを踏まえると、妥当なことをやってらっしゃった気はするんですけどね。門外漢が知らないこともあると思うので、何とも言えませんが。でも早いタイミングで辞意を表明されたことが、次期市長選の争点を民営化の是非に収束させる後押しになったのでは。選挙で(ある程度の)決着がつくのでしょう。

さて、武雄市の病院が民営化を検討し始めた理由、そして上記の銚子市の病院が閉鎖した理由の1つに「医師不足」があります。それに拍車をかけたのが、研修医制度(新医師臨床研修制度)の改正と言われています。本制度の改正が地方の公立病院運営にどう影響したかというと…

制度の改正で、研修医が自由に研修先を選べるようになった → 経験が積める、また将来のことを考え都市部を選択する研修医が増えた → 地方(へき地)の公立病院を選ぶ研修医が少なくなった → 同時に、従来までは(主に)医局の権限で引き留められていた研修医が大学病院に少なくなった → 大学病院の(若手の)医師不足、および安い給与の研修医が減ったため経営にしわ寄せが生じた(実はここを予想してなかった自治体が多かった)→ 大学病院は、今まで公立病院に派遣していた医師を引き上げさせた → 公立病院がさらなる医師不足に!

という構図です。この構図を見ただけでも「医師不足」に複雑な要因が絡んでいることが分かるかと思います。国と医局側の制度の問題、そして大学病院の経営上の問題、公立病院の研修医受け入れ先のスケールの問題…エトセトラ。そしてもちろんこれだけではありません。一般的に知られている医師自身の過酷な勤務条件をはじめとして、他にも多様な要因があります。

で、本題はここから。

ここ:「柏原病院の小児科を守る会」の方たちの活動を見てみてください。
市民自らが立ち上がり、地元公立病院の小児科存続のための運動をしてこられました。公立病院の財政圧迫、そして医師不足の原因は、何も病院側や国・自治体の制度だけに属するものではありません。こちらの「3つのスローガン」に分かりやすく示されているように、医師の置かれている状況を思いやりながら、自分たち患者の振るまいを見直そうと活動されているのです。

そして特筆すべきは、この活動の結果、柏原病院の小児科の存続が決まり、さらに医師が増えたということです。

大学病院や国、そして自治体の制度を変えようという「壮大な構想」ではなく、また対自治体の抗議行動でもなく、1人の女性ができることに取り組み、医師に感謝の気持ちを伝えるという「誰でも取り組める具体的な行動」を起こした結果、医師不足が解消され、地域医療再生への力強い礎になっています。「この病院で働きたい」「このまちに住みたい」という医師(市民)が現れ、患者(市民)と一緒に、まちで気持ちよく生活しているということです。

さて。
とは言わないけど、ぼくの携帯の充電が切れるまで熱い電話をしてきた輩へのメッセージ込みで書いたので冗長になりました。続きは次回の日記で。