今年もこっそりと置いてくださいました。クンシランの花。
季節毎に花を置いてくれるH旅館のおばあちゃんは、ぼくがまちづくりについてどう考えてるのかってのは知らないし、会合に出てきたこともありません。ぼくもそれを無理強いする気はさらさらなく。
インタビューで、移り住んでよかったと思えた時ってどういう時?とよく聞かれます。その時はう〜んととっさに答えられなかったりするんだけど。
生きているというより、なんとなく生かされている感じがすること。例えばまちづくりプランナーとして、例えばデザイナーとしてではなく、見ず知らずのぼくの存在を気にしてくださる方達がいらっしゃることが、言葉にできないくらいありがたい時があります。
ラボも早いもので2年が過ぎました。
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昨日の日記を読んで感想をくれた方達がいらっしゃいます。どうもありがとうございます。
中には「やはりアートより福祉が大事だと思ってしまいます」という方もいらっしゃいましたが、そういう方はボランティアに応募してみると解決するかと… え?笑
ちゃんとお返事しますので少々お待ちください。
頂いた感想の中で特に印象に残ったものを転載します(許可済)。あ、別に他の感想が印象的じゃなかったというわけではありませんので…
以下コピペ。
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アートというか、「創造」は何にでもというか、
人が生きるそのもののような気がしてなりません。
もっと暮らしをよくしようと、創造する。
仲良くなりたかったら、創造する。
好きな人と一緒に家庭を、創造する(築く?)。
。。。
そうこうするうちにだんだんと、
創造したものを書き留めたり、
人に教えたりし始める。
しまいには自分の考えをなぜか発信したくなるのはなぜでしょうか。
なんかこれが「芸術」って言われているジャンルでしょうか。
私は今の時点の自分の考えを論文でしか表現できないので、
論文で表現したまでだと(勝手に生意気に)思ってます。
論理的に自分の考えを表現した、私の作品です。
これもアートだと言えばそうだと思います。
論文でモデルを作って、
「きれいに分かれたー、すごい!」
と私が言うと、うちのお母さんが、
「もともと一緒のを分けただけやないんね。」
とずばっと言ったことがあるんです。
創造とかそういうこと考えなくても
一生懸命暮らしている人は日々創造してるんですね、きっと。
ただ言葉や形として表現してないだけで。
ちょっと、最近生意気になってきたので、
またメッセージ送ります。
そのうちお話ししに行きます。