trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

ひがんばな

昨晩のつぐみは手強かった。。寝付きが悪い時は、だいたい10分くらい散歩すると寝るんですけどね。昨日は20分、30分…といつまで経っても寝る様子はなく。スズムシやカエルの声、川の音、遠くに聞こえる車の排気音と街路灯に、キョロッキョロッと反応しながら興奮気味。そこで最近開発した必殺技(前抱っこの状態で、片方の耳を胸に当てて、もう片方の耳をやさしく手でふさぐ)を実践。ようやく眠りにつきました。が、そこからが本番。「あ、眠ったかな」というとこから充分寝付くまで抱っこして、布団にのせるとだいたいOKなんですが、今日は布団にのせる度に号泣。またかよ、またかよ、でようやく睡眠。

そして2時近くに夜泣き。再び抱っこして散歩→必殺技。寝付いた頃に布団に…あぁだめ、あぁだめ、で抱っこしたままソファに座ること2時間。気付けば4時過ぎ。腕が棒。おかげで仕事が全く手に付かず…つうか、子どもがいるのに夜の時間を見込んじゃだめですね。分かっちゃいるけど、ねぇ。。さぁ今夜こそは!と新必殺技の開発に勤しんだ今日。仕事はまた夜に。(ん?)

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写真は彼岸花。この季節になると、田圃のあぜ道に彼岸花の列ができる。見慣れたあぜ道にいつの間にか現れる赤いライン。そこに彼岸花が在ると初めて気付かされる時。彼岸花は在ったのに無いとしていた自分。

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先日のはなし。小国で日野くんのライブがあったので行ってきた。
実は彼とはもう長い。最初に逢ってから8年くらい?(だよね)

で、彼の演奏を聴いてると、うんうんこういう感じ、昔はこんな感じで夜な夜なライブに行ってたよなーと想い出す。目を閉じると、こぼれた酒と煙草の煙にまみれながら冷たいセメントにぺったりと座り込んでいたあの時の情景がよみがえる。いつもそんなんで聴いてたわけじゃないんだけど。何故かその時の、あの感覚が想い出される。不思議なんだけど、この感覚はつぐみを抱っこした時の感覚と似ている。彼女がいつのまにか寝てしまうと、全体重がぼくに預けられる。その時ぼくの身体と彼女の身体がひとつになったような感じがする。その感覚ととても似ている。

真剣

さて、今日は(いつにもまして)ながいです。読みたい方はプリントアウトしたほうが…。

先日の日記で書いたように、昨日9月11日は定例県議会。川辺川ダム問題に対して、蒲島熊本県知事が事業の是非を表明しました。
結論から言うと「ダム事業の白紙撤回」。とても素晴らしい表明演説でじーんとしました。アタモとつぐみも一緒にテレビの前に張り付いておりました。

詳細はこちら:http://kumanichi.com/pdf/20080911.pdf (PDF。熊本日日新聞の号外です)

荒瀬ダムの一件(参考)もあり、ぎりぎりまで不安だったんですが、慎重に言葉を選びながら「ダム反対」を明言。そして演説中、「ダム推進」を期待する「五木村」の話をする際には、涙ぐむシーンもあり、計画発表から42年という長く重たい歴史を肌で感じた次第です。

よく知らない方に説明すると… 川辺川ダムが建設された場合、球磨川上流域の五木村の中心部(頭地地区)は水没します。計画当初(1966年〜)はもちろん五木村は「ダム反対」でした。しかし、県と旧建設省の働きかけにより、80年代前半には水没地域住民の方達と裁判上の和解が成立。96年には、五木村としてダム建設に同意した経緯があります。

その後、頭地地区代替地(水没予定の頭地地区に住んでいる方たちが引っ越しをする場所。高台。)の造成工事をはじめとした基盤整備が始まり、五木村はダムを受け入れながら地域振興をしていく立場へと「やむを得ず」シフトしていったのです。自分たちの村が沈むにもかかわらず、「ダム推進」である理由はこういう経緯からです。

誤解のないように付け加えると、今でも「ダム反対」の住民の方はいらっしゃいます。ダム問題を期に様々な思いが交錯する中で、村として「ダム推進」に舵取りしたということです。

また、相良村をはじめとした頭地地区以外の基盤整備は既に終了しています。つまり、今ダム事業が止まってしまうと、財政の裏付けがない基盤整備の実現が不可能になる… 五木村はそういう不安もあり、どうしても「ダム推進」と言わざるを得ない状況なのです。

五木村の方達が反対運動を展開していた当時は、周囲の「ダム反対」の民意はそれほど大きいものではありませんでした。村民が地道に反対運動を繰り広げる中、国と県にあらゆる説得を強いられるかたちで、苦渋の決断をしたのです。

しかしその後、「川辺川ダム問題」がさらに複雑な様相を呈していきます。

五木村が長い戦いに終止符を打ち、新しい方向に動き出そうとしたその矢先に、球磨川下流域に住まう人たちや環境保全活動を繰り広げる方達により「ダム反対」の民意がわき上がり始めたのです。(余談ですが、当時学生だったアタモは環境NGOに所属しており、川辺川をカヌーで下りダム反対運動をしていた)

この民意の拡がりは、(日本の)時代の流れとしてやむを得なかったのかもしれません。

京都議定書が議決されたのが97年。「LOHAS(ロハス)」 という言葉を牽引してきた雑誌「ソトコト」が創刊されたのが99年(ちなみに、ロハスは、ソトコト編集長小黒氏が代表を務める会社の登録商標です)。また、景気対策という名目で莫大な国費を用い、いわゆる「ハコモノ」が乱立したのが90年代中期。それに対する厳しい世論が拡がり始めたのが90年代後半です。権益が絡んだ大規模公共事業に異を唱える評論家もその時期から目立ち始めました。

今でこそ「エコ」や「環境」という言葉が当たり前に流通していますが、90年代までの周囲の関心はあまりに低いものでした。正確には、戦後の産業優先の基盤整備や高度経済成長期の政策に対するアンチテーゼとして、50年代から先人達の活動はありました。でも多様な動きが束ねられ、市井に浸透したのは90年代とぼくは考えてます。

それが2000年に入り、地球規模のさらなる危機感とともに(若干やりきれないキモチもありますが)市場やファッションにも後押しされながら徐々に世の中の潮流へと、力強さを増していくわけです。

ますます「ダム反対」の機運が高まる中、五木村の人たちにとっては「何をいまさら…」というキモチだったに違いありません。
実は、当時学生だったぼくは、頭地代替地の宅地配置計画のお手伝いをしていました。何枚もトレーシングペーパーを重ねながら、予想される生活者の動線を重ねていく。もちろんその当時から、ぼくは「ダム反対」でしたが、苦渋の決断を強いられた村の皆さんに対して、少しでも力にもなれればという思いがありました。

しかしそれは一方で、ますますダムに対する違和感を抱く作業でもありました。人工的に盛られた土(代替地)に「自然」が蓄積してきた歴史を再現することの限界と、人間が壊し創り出す風景の虚しさのような、そういう感情が常に併存していました。完成つつある街並みは新しくはあるが「何かが違う」。そういうキモチがありました。

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さて、そういう世の中の流れに押される形で、国交省(旧建設省)のダムに対する方針(理由)も二転三転していきます。そこらへんは(さらに)長くなるので省略しますが、世論に応じて変化した国交省(および農水省)が掲げるダムを推進する(した)理由は、「ダム反対」派を沈静化させるには乏しい説得材料でした。そして今年3月には「中立」の立場を堅持した潮谷県知事が辞任、蒲島県知事へとバトンタッチされました。

こちらの記事にも書いてありますが(すいません。会員じゃないと見れないと思いますが…)、潮谷さんは個人的に「ダム反対」だったそうで。「中立」の立場で振る舞っていたのは、首長として判断を下すには時期尚早と判断していたということでしょう。三選不出馬の理由について「三期目を選択すれば燃え尽きてしまう」と書いてありますが、正確には、引き続き知事になったとしても、この問題をよりよく解決するのが難しいと判断されたということです。

この見解については辞任前、潮谷さんから直接聞いたものです。例えば三選目で当選して、あと4年任期が伸びたとします。最初の1年で反対か賛成どちらかを判断したとしても、残り3年でリーダーシップを発揮するのは難しいと考えたと。年齢の関係もあり、周囲の人達は残り3年という任期で割り切ります。その中で、協働作業をしていくのは非常に困難だと判断したのです。つまり首長として、川辺川ダム問題および水俣病問題の2つの大きな問題を抱えた県および県民を思いやった末の辞任ということだったのです。

そういうこともあり、個人的には蒲島知事には少なくともあと一期がんばるつもりでこの問題に取り組んで欲しいと思っています。まず残された3年という短い期間では、現在ダム推進派多数の議会を切り抜けながら、ダム問題がもたらした五木村の問題を解決するのは難しいと思えます。なぜなら、(後述しますが)最も大きな問題は「財政」ではなく、ダムに振り回された「村民のキモチ」の問題だからです。

さらに短い期間で、あり得べき将来を目指して国交省と歩みを共にする方針を見出すのも困難と思えます。非ダムの治水計画の有り様を踏まえ、継続可能な長期計画を描いた上で、短・中期的な個別具体的な政策をぜひ練って欲しいと思っています。

言いっぱなしもどうかと思うので(あり得ませんが)例えばぼくが知事だったら…
まず非ダムを前提とした治水計画と農地および森林の保全施策を有識者とともに検討、自然に配慮した科学的な治水計画の有り様を明らかにすると同時に、その営みを「五木村の魅力(ポジティブなエネルギー)」として見立てていくことを考えます(もちろん会議は必ず五木村で開催)。

同時に(理由はともかく)プライベートで足繁く五木村に通い、その成果をフィードバックしながら「川辺川コミュニティ基金」のような(誰でも寄付できる)寄付制度の設立・運営について長期を見越して計画検討します。

残りの基盤整備を実現するためには莫大の資金が必要ですが、それを財政危機の中100%「税金として」賄うのではなく、(困難が伴いますが)基盤整備は必要不可欠なものだけに留めることについて地元の合意を取り付けたいと考えます。その上で、長期的な経済効果と(文化的な)交流人口の増加、そしてこの問題を共有している人たちが持つ「川辺川や五木村などに対する愛着」により、税金100%では得られない営みが、地域に実感されるような政策を検討します。

上記基金の用途としては、代替地における必要最低限の整備費、そして頭地地区のような水没地だけでなく、その他の水害に遭う可能性のある地域も含めた対象地全体の「田舎のまちなみ・農地・森林の保全」への投資を検討します。洪水の被害があった場合、その補償にも用いる。洪水と共生しながら「自然豊かな田舎」が持続していくための仕組み作りに挑戦するわけです。もしこういうことをやるとしたら世論が大きいうちに、つまり今すぐにでも検討していった方がいいはずです。

一方、今回の蒲島知事の「ダム白紙撤回」声明で、ダムが建設されないと決まったわけではありません。(法律上も)国は知事の意向を踏まえなくてはいけない状況ではありますが、「非ダム」による治水手法の実現可能性を明らかに示せない限り、国交省は再度「ダム」を提示してくるでしょう。

つまり最低限、この機会にステークホルダー(利害関係者)が一丸となり「非ダム」の治水手法について、知恵を結集する必要があります。非ダムという前提に立ち、より多くの人たちでこの姿勢を共有・協働し、知恵を出し合わなければならない。

未だ正面を切って煮詰められていない非ダムの治水手法、そして河川と共生する中山間地域の持続可能性について知恵を絞り、五木村および熊本県がその他の地域を引っ張っていくことが、ゆくゆくは地域ひいては日本にとって大きなメリットをもたらすものだと考えます。

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今回の表明に対する蒲島知事の言葉のまとめを熊本日日新聞から抜粋します。

<(蒲島知事は)ダム事業の根拠となってきた「流域住民の生命・財産を守る」観点をとらえ、対象は建物など個人・公共財産ばかりでなく「球磨川そのものが守るべき宝」と指摘。ダムによる治水の最大受益地である人吉市長が計画の白紙撤回を求めた見解を踏まえ、「全国一律の価値基準でなく、地域独自の価値観を尊重することが幸福量の増大につながる」と提起した。>

現在テレビで報道されている内容もこの考え方を評価したものと言えます。それはつまり、豊かな自然環境を資産と捉えたこと。そして、国の方針に反する、多くの県民の「民意」を尊重したという評価です。

しかし、欲を言うなら、あと一歩進めるかたちでこの問題を展開してもらいたいというキモチもあります。先述したように、五木村が反対運動を繰り広げている際、多くの民は無関心でした。そして現在は、少なからず市場価値に影響を受けるかたちで、環境保護(保全)という「民意」が増大しています。つまり、「今現在の民意」を拠り所にすることが、必ずしも将来に渡って民の幸福量の増大に繋がらないのが「人間社会」と言えるのです。

養老孟司氏は、著書「いちばん大事なこと」の中で「人間は自然だ」と述べています。現在の環境問題を扱う「自然環境 対 人間社会」という図式がそもそも間違っていると。

今回の川辺川ダムに関わらず、自然に大きな影響を及ぼす公共事業の案件は日本国内だけでもたくさんあります。そこには、様々なステークホルダーの「思いと思惑≒民意」があり、事業の是非の決断に悩む時が必ずあります。しかしその場合、実は答えは自明なのです。多数決ではなく「人間は自然」と考えれば、同じ自然を敬うべき判断を下さざるを得ないのです。

「民意」が、ある特定の権力に回収されるのはもちろん危険ですが、同時に是非の決断を、その時々の「民意」の大小に依るのも非常に危険です。「民意」は「自然環境 対 人間社会」という図式の基で、とりわけ「虚構」の経済に大きく揺さぶられます。

先述した、市場価値を得たからこその近年の「環境」「エコ」ブームもありますが、例えば今回においても、ダム補償金を巡るコミュニティへの影響があります。村民の中には、補償金が得られることを望み、ダム推進に傾いた方もいらっしゃいました。補償金を支えに家を移転したのはいいが、固定資産税を払えなくなった…という方もいらっしゃいます。さらにその状況は周囲がもたらしたにも関わらず、妬みにも似た視線を村民に対して向ける輩もいます。

つまり、自然環境がどうこうだけでなく、今まで国が主導してきた「お金」に基づく「あの手この手」が、豊かな「田舎文化」を壊し、村民およびその周囲のキモチを振り回してきたのです。ぼくは、公共事業のプロセスで派生するこれらの問題が本質だと思っています。

反対か推進かという「民意」の量からは見えない、その「真意」は非常に複雑であり、コミュニティの将来に決定的な影響を与えるのです。都市はまだいい。しかし田舎に与える影響は計り知れない。

清流球磨川、上流域に位置する豊かな緑、そこに生息する豊かな生物たち、そしてその恩恵を被る下流域…それらの「自然システム」は、人間と同じシステムであるという点からいうと、「自然環境 対 人間社会」という図式で自然環境を押さえ込むこと自体が、そもそも矛盾を孕んでいます。

自然環境を人間社会が創り出した「技術」や「お金」で無理に押さえ込めば、未知の新たな問題が将来必ず訪れます。必ず。

もちろん、今まで「自然環境 対 人間社会」という図式で営まれてきた社会に対して、「人間は自然」という図式での安易なアクションは、取り返しのつかない文化および文明の喪失に繋がります。人間の生命が脅かされることもあるでしょう。(というか、人間が自然である時点で安易なアクションは否定されるべきですが、一応)。

しかし、多様なステークホルダーの意見と充分なフィジビリティスタディを踏まえた上で決断する際には、「人間は自然」という発想を拠り所にすることが、将来に対して、より幸福な答えを導き出してくれるはずです。自然を無理に押さえ込むのではなく、また、自然に過度な美しさを見立てるのでもなく、自然と「自然体でどう長く付き合っていくのか」という発想です。

「自然環境 対 人間社会」という図式で押さえ込まれてきた地球が、以後何年続くか分かりません。しかし、今を生きる人たちは、未だ見ぬ自然(つまり人間でもある)を敬い、可能な限り「自然として」生きることが望まれています。人間という生命体に依拠した「普遍的な図式」へ。この思想が、これから環境問題に立ち向かう人たちの使命であって欲しいと切に願います。もちろん自戒も込めて。

長くなりました。最初の写真は、表明演説を真剣に聞くつぐみ。(ということで)

 

カチカチ

そして早速、蒲島知事にメールを送るつぐみ。(ということで)