trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

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午前中、URCで九大箱崎研究会。福岡市や東区の方たちと箱崎キャンパスの跡地利用について検討する会議。九大からは、ぼくとキャンパス移転推進室のS先生が参加している。マル秘事項なのでここでは書けないけど、必要とされる空間機能について意見交換をした。エスキースをさらに進めて、今年度中にはざっくりとしたゾーニングが出てくるんじゃないだろうか。(たぶん)

午後は講義。地域文化デザイン論の最終日。前半は、NPOのファンドレイジング(資金調達)について。NPO特有の財源に応じた資金集めのコツ等。後半は、「こうのとりのゆりかご」とデザインとの関係について話をした。

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写真は風呂上がりのつぐみ。ちょうど1歳になった頃のもの。もちろんぼくの真似。
大好きな納豆を食べた手でディスプレイを触るので… 今は使っていないibookをつぐみに与えていた。

つぐみを観察していると、面白い。直感的な行動が楽しい。変な言い方だけど、デザインについて教えてくれることが多いのだ。

まず電源を入れると、ディスプレイを触り出す。映っている「絵(GUI)」を指で動かそうとする。
そしてキーボード。ぼくの真似をしてぽちぽちと「叩く」んだけど、意外だったのが「はがす」こと。キーボードを、ぱちぱちとはがしていく…。

やめさせる、というよりまず、感心してしまった。改めて見てみると、確かにはがしたくなるなぁと。少なくとも彼女にとっては、キーボードは文字を入力するデバイスではない。彼女にかかると、キーボードはぼろぼろになる。いろんな意味で… ぼくには決してできない。

最近は学習したのか、はがすことはなくなった。電源が入っていなかったら、電源ボタンを押そうとするし(ただしぼくの顔色をうかがいながら)、傍らに置かれたマウスが「絵(GUI)」を動かすデバイスであることにも、気付いたようだ。

iPadが発表される直前、AppleInsiderが面白い特集を組んだ。Appleの新製品発表に向けて、タブレットの歴史を振り返ったものだ。

興味深いのは最初の図の一番左。Alan Kayにより提示された “handheld computing” つまりラップトップの最も初期のコンセプト「Dynabook」は、タブレットだったということだ。“Kay’s idea mingled with his interest in promoting computers as a tool in primary education, 〜” という点も興味深い。子どもたちのことを考えた結果、見出されたデザインだった。

マウスは、Douglas Carl Engelbartにより1963年に製品化される。なぜ、タブレットがマウスに置き換わったかは推測でしかないけれど… まずは技術的な制約があったのは確かだ。そして、当時テキスト入力に特化していたパソコンでは、タブレットよりもマウスというポインティングデバイスを使用した方が効率的だった、ということだろう。

パソコンの役目がテキスト入力だけではなくなり、技術的に十分進化した現代においては、わざわざ(ネズミという名の)マウスを使って、離れた位置にあるものを動かす必然はない。動かしたいものを直接触りながら操作するのが、人間として「普通」のことだから。

Appleのすごさは、その「普通」を徹底的に追究するだけでなく、また、それを裏付ける技術力だけでもなく、印象的な場と時間軸を設え、シンプルなハードデザインと共に世に放っているところだ。iPhoneとの繋がりを見立てた心地よいUIは大きなインパクトとなっている。後日、Microsoftから発売予定の「Courier」の方がよっぽど使い勝手はよさそうだけど、その魅力を寄せ付けない説得力がある。ブランド力、と言い換えてもいいだろう。

少し話はそれるけど、興味深いラップトップがある。これ。

“One Laptop per Child(子ども1人に、ラップトップ1台を)” を合い言葉?に、パソコンを持てない子どもたちに、安価にラップトップを提供している。昨年末に提示された新製品のモックアップがこれ。175ドルで提供されるタブレット式端末だ。
プロジェクト当初から興味深く追いかけているけど、最近は少々ビジネスライクになってきた気がしないでもない。当初100ドルの予定だった値段が上がった。当初最貧国の子どもたちしか対象にしないというポリシーが変わり、先進国のユーザーも巻き込みだした。さらに子ども達のためにwordのようなツールは必要ないと言いながら、いつの間にかwindowsとのデュアル・ブートに…。

一般的に、こういうビジネスを(個人的には好きな呼び方ではないけれど)「BOP(ベース・オブ・ピラミッド)ビジネス」という。ここを参考にしてほしい。いわば、今まで対象としてこなかった(主として)低所得者層に市場を見出す営みだ。

以前、ぼくの講義の中でも「最先端のデザイン」というテーマで、今まで先進国のデザイナーが考えてこなかったデザインの在り方として“Design For the Other 90%” で紹介された作品群、そして変えるべき世界の現状について話をした。市場として見立てるかどうかは抜きにして、「世界」を「日本」に置き換えても同様な視点が必要とされている。その中でこのラップトップについても紹介した。

“One Laptop per Child”の 活動としての評価は、しばらく経って見ないと何とも言えない。当初掲げていたコンセプトや道具としてのインターフェースが「普通」に改良されていっている点は、至極共感する。

例えば “One Apple per Child” なんてコピーが通用するような、そんなプロジェクトをぜひAppleにしてもらいたいなぁと思ったりもする。現地のNGOにリソースを提供しながら。電子書籍を心待ちにしている「出版社」は少なくても「子どもたち」は少なくない。ビジネスとして成立させることも、決して難しくはないだろう(同業者からの批判はあろうとも)。

インターフェースだけでなく、タブレットの持っていた根源的な信念に立ち戻ってくれたら… という身勝手な妄想がある。その時こそ、Appleのブランド力が世界を変えるだろう。参考までに。