trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

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ぼくらが話す言葉もずいぶん分かるようになり、片言で自分の主張もするように。スカートやパンツも自分ではこうとがんばります。ワンピースはさすがに無理のようだけど… 本人は得意げ。ぼくのトランクスも好んではこうとするけど、その写真は(ぼくが)恥ずかしいので割愛。

 

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大好きな「おかあさんといっしょ」の振り付けも、いつのまにかマスターしていて。嬉々として踊る姿は理由なく励まされます。

今日は1歳6ヶ月検診。アタモが検診から帰宅するとポストに「いらっしゃらなかったようだったので…」と置き手紙。なんと役所から検診のお迎えが来るみたいで。すごいね。子育てしてみて改めて思ったけど、乳幼児を取り巻く環境は決して悪くない。上を見るときりがないけど、周囲の身近なおとなたちは、本当に子どもたちの事を考えてくれている。まずは感謝をすることから始めなきゃなぁと。

一方、中高生をとりまく環境はやはり気になる。将来、縁となる原風景はこの頃のものだし。乳幼児・小学生の想像力は簡単におとなを凌駕する。中高生の想像力におとなは距離を置いていないだろうか。ここら辺りで行動したい気持ちは徐々に強くなっていく。

bgm: A BIRD / 大橋トリオ (youtube)

iichiko

午前中、1件打ち合わせをした後、九○調のYさんとM特任教授と一緒に、大分・iichiko総合文化センターへ。秋に開催される九州経済にまつわる展示のための下見。この展示は今春に鹿児島で1回目が開催され、今度で2回目。3回目は熊本で… という感じで九州全地域で開催される。1回目から広報物と空間のディレクション・デザインを担当。

前回は、(以前少し書いたけど)高さ1.5m・長さ約60mの年表を作成。戦後から毎月1項目、鹿児島の経済に関わる出来事がピックアップされた年表。調査したシンクタンクも大変だったと思うけど、行間がコンマ数mm変わるだけでおさまりが大きくズレるという、恐ろしさ。その他にも、九州経済に係る様々な統計データをパネル化し、B1サイズ100枚以上の分量に。

予算をはじめとした様々な制約条件の中、自分史に刻まれる程の大変な案件だった。製作を手伝ってもらったのは、某現代美術館の展示等にも関わっている熊本のP社。笑いが出るくらいの膨大な情報量だったからか、大変だったけど楽しく乗り切ることができた。今回の会場は、前回と比して半分の広さ。情報を如何に編集するか、に時間を持っていかれそう。

 

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鹿児島で併せて開催したトークイベントの様子。パネラーはJR九州の石原社長、鹿児島銀行の大野会長、鹿児島大学の吉田学長など。ということもあり、熱気むんむんのサラリーマンの方々が集まった。今回も3つのトークイベントが併催される。こっちも工夫が必要。

大分に滞在したのは、2時間弱。駅と会場のみ。片道2時間かけて博多駅に戻った後、近くで2件の打ち合わせ。最近は1日4〜5回会議は珍しくない。気を抜いちゃうと、課題を持ち帰りがちになるので、その場で結論が出せるよう、集中力を振り絞って臨む。数分考えて無理だとその場で結論を出すのをあきらめて、次の議題に。ほんとは、この1年はもっとゆるやかに過ごして、論文や本を書きたかったんだけど。なかなかうまくいかないもんだなぁと気付けばもう周囲はせわしくセミが鳴いている。ジー

bgm: ネイティブダンサー / サカナクション (youtube)

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久しぶりに杖立へ。車を降りると「タイムスリップしたみたい」とアタモ。まさにそう。杖立に居た時から感じていた、空間がもたらす支配的な、でも心地よく、誠実な、人間らしい時間感覚。ぼくが好きな空間は、「自分の知識が届かない」時間が感じられる空間。どんなにオシャレでかわいく見えても、作り手に「自分の知識が届かない」時間への配慮がなければ、興味は薄れる。歴史的、または伝統的だと明示される必要は全くなく。専門家から美しいと評されるかどうかも問題ではない。
個人的であったとしても、作り手が先人に対する敬意を踏まえていること。そして作り手が意識的であったかどうかに関わらず、空間から人間の自然性(限界)が感じられ、かつそれが違和感なく風景の一部となっているかどうかの問題なのだ。

今年も杖立は明後日朝顔プロジェクトに参加している。当初は、どうしようかな…と悩んでいた。福岡から杖立の朝顔の様子をうかがうのは難しい(何せ朝…)。そんな中、杖立の朝顔リーダー・男前Nさんが、今年も参加したいと言ってくださった。うれしかった。ということで、少し出遅れたけど、今年も参加することにした。このロゴで杖立が一番下にあるのは、そういう理由から。悩んだ分、いい感じに下からぐっと支えている。

明後日朝顔に参加すると、ブログにて現状を報告しなくてはいけない。でもリーダーはインターネットに慣れていない。無理もない。杖立がブロードバンド化されたのはつい最近のこと。だからといって、誠実な時間感覚を備えている方たちに、ブログだのtwitterだの勧めたくはない。こういうのは、必要な人とそうじゃない人が確実にいて。安易に勧めるのはとても抵抗がある。そこで、とりあえず九工大の学生の中から朝顔担当を決めてもらい、取材をしてもらうことにした。早速アップしてくれているようで。その調子で!

朝顔を眺めた後、「第1回 まちづくり会議(仮)」。今年度から新しい動きが始まる。その詳細はまちづくりの軌跡で学生が報告してくれている。何だかいつになく愛ある文章。笑 その調子で!

前日に、とある方から相談があると電話があった。なので会議後、Pホールにて打ち合わせ。

今後杖立にて進められるのは大きく2つ。軌跡に書かれているように「防災道路事業」と「背戸屋みちづくり事業」。国や町と連携しながら進められていくハード事業。その個別事業とは別に「杖立全体のまちづくりの方向性を掴みたい」。ざっくり言うと、そんな相談だった。

基本計画策定から6年が過ぎ、杖立の置かれた状況もずいぶん変わってきた。実働体制が大きく良い方向に変わってきている。「みちくさ案内」や「杖立プリン」等が定着する一方で、取り組める、そして、今こそ取り組むべきアクションも顕在化してきた。それらが混在している状況を、長期的視点や相互関係を踏まえて「見える化」したい、そういう要望のように思えた。

以前から、まちづくりの「総合計画」のようなものが欲しいとは言われていた。でも、今日話を聞いた限り、それは「総合計画」とか新たな「基本計画」とか、そういう類のものではなさそうだ。必要なのは、(流行りな感じで)一言で言うなら「思考を支えるフレームワーク」のようなものだろう。参考1。参考2。

計画条件やその必然性がボリュームを割く「計画」は、まちづくりを主体的に思考する当事者(住民)の感覚とはどうしても距離ができてしまう。「今私たちがやりたいと思っていること」の共時態と、そこから成果に至る通時態(参考)からなるフレームワーク、つまり、物事が進められていく際の「感性」に忠実でありながら、よりベターな事業成果をもたらすための支援ツールが必要に思った。

そしておそらくそれらの全体像は、限られたメンバで共有しながら、アクションに応じて部分的に広く知らしめていくものであるのだろう。最初から広く・みんなが、となってしまうと「やりたいこと」から遠のき、幾つものフレームワークが必要になってくる。つまり、こういうものは、どのような規模で形作るかが、肝であるように思う。

行政と協働で個別のハード事業を進めながら、次なるアクションを方向付ける包括的なフレームワークを構築する。この2つの柱を九工大と役割を決めながら進めていきたいと思う。九大としての関わりも見出していけたら、いい。

打ち合わせ後は、2軒の旅館さんからいろいろ相談を受ける。そしてラボの引っ越し作業。総勢7、8名の学生たちが手伝ってくれた。やはり君たちがいるから、まちづくりが進むのだと思う。さすが。えらい。かっこいい。

ということで、次回もよろしく…