trivial records

trivial recordsは2006年12月〜2011年7月に田北/triviaが綴っていたブログです。
すでに更新していませんが、アーカイブとして公開しています。

クンシラン

今年もこっそりと置いてくださいました。クンシランの花。

季節毎に花を置いてくれるH旅館のおばあちゃんは、ぼくがまちづくりについてどう考えてるのかってのは知らないし、会合に出てきたこともありません。ぼくもそれを無理強いする気はさらさらなく。

インタビューで、移り住んでよかったと思えた時ってどういう時?とよく聞かれます。その時はう〜んととっさに答えられなかったりするんだけど。

生きているというより、なんとなく生かされている感じがすること。例えばまちづくりプランナーとして、例えばデザイナーとしてではなく、見ず知らずのぼくの存在を気にしてくださる方達がいらっしゃることが、言葉にできないくらいありがたい時があります。

ラボも早いもので2年が過ぎました。

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昨日の日記を読んで感想をくれた方達がいらっしゃいます。どうもありがとうございます。
中には「やはりアートより福祉が大事だと思ってしまいます」という方もいらっしゃいましたが、そういう方はボランティアに応募してみると解決するかと… え?笑
ちゃんとお返事しますので少々お待ちください。

頂いた感想の中で特に印象に残ったものを転載します(許可済)。あ、別に他の感想が印象的じゃなかったというわけではありませんので…
以下コピペ。


アートというか、「創造」は何にでもというか、
人が生きるそのもののような気がしてなりません。

もっと暮らしをよくしようと、創造する。
仲良くなりたかったら、創造する。
好きな人と一緒に家庭を、創造する(築く?)。
。。。
そうこうするうちにだんだんと、
創造したものを書き留めたり、
人に教えたりし始める。
しまいには自分の考えをなぜか発信したくなるのはなぜでしょうか。
なんかこれが「芸術」って言われているジャンルでしょうか。

私は今の時点の自分の考えを論文でしか表現できないので、
論文で表現したまでだと(勝手に生意気に)思ってます。
論理的に自分の考えを表現した、私の作品です。
これもアートだと言えばそうだと思います。
論文でモデルを作って、
「きれいに分かれたー、すごい!」
と私が言うと、うちのお母さんが、
「もともと一緒のを分けただけやないんね。」
とずばっと言ったことがあるんです。

創造とかそういうこと考えなくても
一生懸命暮らしている人は日々創造してるんですね、きっと。
ただ言葉や形として表現してないだけで。

ちょっと、最近生意気になってきたので、
またメッセージ送ります。
そのうちお話ししに行きます。

20070406-_IGP2697.jpg

ときおりラボの前を花びらがひらひらと。背戸屋をすこし上がると菜の花畑。その上にはさくらが見下ろしてます。花見スポットというにはもったいない、静かな風景がありがたい。

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AIKがボランティアスタッフを募集とのこと(詳細は末尾に)。ぼくも何らか関わることになるかと思います。九州・中国の学生は特に応募してほしいなぁ。これはぼくの周り(まちづくり分野?)に限ったことなのかもだけど、アートの領域を自分の知識と経験だけで定義している人がとても多い気はします。

アートとは創造の行為そのものであり、創造の結果生じるアウトプットです。アートより福祉が大事だとか、デザインはアートとは違うから云々とか、そういう訳分かんないことを言う社会人にならないように、今のうちから「自分で作っている壁」を取っ払うチャンスに飛び込むことをすすめます。

もちろんアートの発信側で壁を作っている人たちもいます。それは自分勝手な場合もあるし、あきらめの場合もあるし、あえてそうする場合もあるし。そこでアートはこの程度だと認識することは、コミュニケーションを放棄することと同義です。想像力を忘れるのと同義です。

そう意識化してるのならどうしようと個人の自由だとは思います。アートにブランドとしての価値を見出す人たちも(個人的には関わりたくないけど)それはそれでいいのかなぁって。だけど気づかないうちに誰かの「創造の行為」を否定することだけは、避けてほしい。その中にある社会が変わるきっかけや、生活を支える感動や、地域が持続する可能性を摘んでしまうことになったりもするのです。

ていうか、そう大げさに思わずとも、例えば好きな人に想いを伝えることも、プリミティブなアートの行為です。肩肘はらずに広い世界を眺めることは、これから生きていく上できっとプラスとなるはず。自分の壁を取っ払った後に迷いが生じることもあるかもしれません。でもその迷いを共有できる人たちに出逢うことが、生きる理由のよな気もします。

以下コピペ。

AIKが企画するイベント運営のボランティアスタッフを募集しています。

アート インスティテュート 北九州(AIK)は、アートの力で社会を面白くすることを目的に、2005年10月より活動しているアートNPOです。
主な運営メンバーは、企業経営者、アーティストやミュージシャンや建築家、大学の研究者やアートマネージャーなど、アートを盛り上げたい、地域を面白くしたいなどと企んでいる人たちで構成されています。主な活動内容は、ギャラリーの運営や展覧会などのキュレーション活動、ワークショップやシンポジウムなどの教育活動です。さらに、それらの情報発信や出版活動などをと通して、地域に密着し、世界に開かれたNPOを目指しています。

AIKでは、これらの事業をサポートしてくださるボランティアスタッフを募集しています。まだ出来たばかりのNPOなので、ボランティアスタッフの皆さんの提案も積極的に受け入れながら、一緒に盛り上げていきたいと考えています。

●お仕事の一例
・ホームページやメールニュースなどでの広報
・イベントの会場設営、作品設置などのサポート
・ワークショップやシンポジウムの運営アシスタント
・イベント会場の受付、案内管理およびガイドツアー
・ドキュメント作成(ヴィデオやスチルの撮影、編集など)
・チラシ・カタログなどの制作サポート
・簡単な事務仕事のサポート
・ボランティアスタッフのとりまとめ
などなど

●AIKボランティアは、やる気次第で様々なメリットがあります。
1.アーティストやキュレーターなどのアート関係者だけでなく、ミュージシャン、建築家、研究者、映画関係者など様々な人と知り合うことができる。
2.イヴェントやアーカイヴにおけるマネジメントなどの基礎を実践から学べる。
3.国内外のオルタナティヴ・アート・スペースやアートNPOの活動に触れることができる。
4.広い意味でアートについての国際的な視野や知識を身につけることができる。

●活動場所
北九州市内外でのイベント
北九州市立旧百三十銀行ギャラリー
など

●報酬
基本的に報酬はありません。
※仕事内容によっては交通費や昼食代などの謝礼が支払われる場合もあります。

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応募方法
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ご協力いただける方は、タイトルを「ボランティア応募」として、
(1)お名前、(2)メールアドレスお電話番号、(3)ご希望内容(a〜c)、 (4)ご希
望の時間帯がある場合はその時間帯を、メールにてお知らせ下さい。
info@a-i-k.jp
どうぞご参加お待ちしています。

アートマネジメントやまちづくりに関心のある方、イベント大好き!写真が得意!力自慢!資料整理は任せて!パソコンや機材には詳しいよ!などなど、ご興味のある方は、AIK事務局までご連絡の際、得意分野や興味のある分野をアピールしてください。

AIK事務局(高橋)
メール 093-661-9130(gallery130内)
http://a-i-k.jp/

bifore

ビフォー

 

after

アフター(のちょっとまえ)

無料駐車場入口の植栽。早朝から施工。歩者共存道路の整備に併せて、(たくさんの方達のお力添えで)アスファルトをはつってもらって、植栽をしました。樹種は、コナラ、モミジ、シャクナゲ、ドウダンツツジ、ヤマモミジなど。落葉時にさみしくなるので、常緑の高木を1本or2本植えようかと話をしています。シラカシかな。。

地表にはコウライシバを。地元の方はコクマザサを…とおっしゃってたんだけど、ぼくのわがままを聞いて頂きました。コクマザサというのはこれ。実は近くの某有名温泉地はこれを多用してます。杖立でもここの温泉地の植栽を参考にしているところは多くて。でも違うんですよね。杖立は黒川(あ、言っちゃった)とは違う。それでも「雰囲気がアレだったらコクマザサ植えるから」と言われています。ここにコクマザサが植えられていたら、ぼくの力量がなかったということで…

…で、舗装を変えた時に白線が引かれる予定だったんですが、引かないようお願いしました。なるべく一体感が出るように。シバが5,6cm伸びたらしっくりくるかなぁ。。と考えてます。ここはぱっと少しだけ目に付く感じがいい。そういう意味でも土色ではないシバの自己主張くらいがちょうどいいかなぁと。ぽっこりラウンドさせて。

あとは、周囲のプランターを撤去・移植して(モナのパン箱がなぜここに?)、カーブミラーを1本に統一して、新しくしてもらうようお願いします。茶色に。できるかな。。若干不安だけど自分たちで塗ってでもここは茶色にすべき。で、サインを設置します。ビフォーにあった街灯が無くなったの分かります? 街灯を撤去しました。んでその電気をひっぱって、内照式のサインの設置を目指します。夜にぼぉっと赤く灯るような。

おそらくこの時もいくつかのハードルが出てくるはず。まずお金がかかりすぎるということ。これはお願いするしかない。。んで(サインの)色が無いということ。色が無いってのは本当はあり得ないんですけどね。取り引きしているメーカーさんにそういう色が無い、というのが正確です。ここは妥協したくないなぁ…と思っています。

特に田舎の風景をじっくり眺めるとディテールのコードが見えてきます。同じ材料や色が使われていたり、似たようなタイプフェイスだったり…。このほとんどは、統一感を出そうとした結果じゃなくて、そういうモノが調達しやすいからです。そして、そのモノの根拠となる情報が少ないからです。

さらに、ディテールを見る批評の目の少なさと未分業化(日本語まちがってるかも)のシステムも大きく関係していると思います。あ、黒川は違いますよ。あそこは(ほとんどが)美的マネジメントされた結果です。場所と見た目は田舎だけど、その構造は都市に近い。

確かに「調達しやすい」等の営みから「田舎らしさ」も出てくるし、どこにでもありそなコードが、そこの魅力となるケースもあります。しかし、そうじゃないことも多いにあります。それが大量消費社会であり、デザインがパソコンに支配された現代の大きな問題です。

全国どこの風景(印刷物等も然り)も似ている、安っぽい感じがする…という田舎の現実は、都市から染み出た上澄み液だけを取り入れたディテールの集積です。そうなると、結果的に都市とのクオリティの差が顕著になります。クオリティの差が魅力のジャマをするんです。そんなんやったら、こっち(都市)がおもろいわ、みたいな(関西弁の理由はなし)。

特に田舎の場合は、クオリティの差はディテールに宿っていると気にかけておいた方がいいと思います。最近そういうことをよく考えます。自戒も込めて。

話ずいぶんそれましたね。ここがきちんと変わって、きちんと管理ができれば、いろいろずいぶん変わる気はします。ご協力よろしくおねがいします。(失敗したらごめんなさい)